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小林忍侍従はかく語りき
2020年11月8日に“立皇嗣の礼”が執り行われました。すでに平成から令和への御代替わりとともに秋篠宮殿下は「皇嗣」となられているが、この儀式を通して皇位継承権一位(皇嗣)となったことを国内外に広く宣明することが目的でした。
つまり皇統が秋篠宮家に移ることを示すための儀式であり、男系による皇統維持を目指す政府や紀子さまにとっては「一世一代」の大仕事といえます。一部の秋篠宮家派だけが「皇嗣殿下、悠仁さま万歳!」とこれを大絶賛し続けているという状況が続いています。今回は侍従の日記から秋篠宮家の実情を考察していきたい。
宮内庁職員には様々な役職があるが、そのなかでも「侍従」と呼ばれる方々は、公私の垣根を超えて皇室のオクでお仕えするため、もっともその素顔を知る立場です。そのため彼ら侍従の残した「日記」は天皇研究の第一資料として貴重です。もっとも公務員には守秘義務があり(場合によって圧力がかかるため)、これら「日記」が本人の存命中に刊行されることは殆どありません。
それでも「開かれた皇室」「大衆化した皇室」を強力に推進した結果、平成の時代には、昭和天皇にお仕えした侍従たちの日記(もしくは回顧録)が相次いで出版されました。主だったものをリストにすると…
- 入江相政『入江相政日記』朝日新聞社、1990-1991
- 卜部亮吾『昭和天皇最後の側近卜部亮吾侍従日記』朝日新聞社、2007
- 河井彌八『昭和初期の天皇と宮中 侍従次長河井弥八日記』岩波書店、1993-1994
- 木下道雄『側近日誌――侍従次長が見た終戦直後の天皇』文藝春秋、1990
- 徳川義寛『侍従長の遺言』朝日新聞社、1997
- 中村賢二郎『吹上の季節――最後の侍従が見た昭和天皇』文藝春秋、1993
- 小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019
などがあります。いずれも昭和~平成初期のころの皇室の実像を克明に描き出しており、とても読みごたえがあります。今回取り上げたいのは、❼小林忍侍従の日記です。
大内糺と小林忍侍従
小林忍侍従(1923-2006)は、昭和後半から平成頭まで宮内庁職員として過ごした人物。昭和天皇晩年の侍従をつとめ、平成となってからは良子皇太后(香淳皇后)のお傍に仕えました。入江相政や卜部亮吾が侍従職幹部であったが、小林忍が中堅職であったことも重要です。なぜならその関心が、後世に日記が公開されることを予期した「壮大なテーマ」に向けられるのではなく、皇室の問題点や皇族方への不満などにも向けられているからです。
ここで一つ面白い事実を紹介したいです。『宝島30』1993年8月号に掲載された宮内庁職員・大内糺「皇室の危機――『菊のカーテン』の内側からの証言」という記事は、美智子さまを「贅沢三昧の女帝」と表現し、いわゆる「美智子さまバッシング」の急先鋒になりました。実はこの記事に、小林忍侍従が登場するのです。それは次の一節。
先帝陛下(昭和天皇)に長らく仕えてきたKという七十歳を目前にした元侍従が、勲三等に叙せられることになった。ところが、K元侍従は「結構です」と辞退してしまったのである。
担当者はあわてふためいて翻意を促した。しかし、K元侍従の決意は固かった。K元侍従が親しい友人に語ったところによると、勲章辞退の理由は今の天皇陛下から項戴したくない、ということに尽きた。「昭和天皇陛下からだったら、有難く項戴させていただいたのに……」とK元侍従はつぶやいたという。
大内糺「皇室の危機――『菊のカーテン』の内側からの証言」『宝島30』1993年8月号
このK元侍従とはまさに小林忍のことです。日記には次のようにあります。
平成5年6月24日(火曜日)
皇太后宮職の引間庶務係長から4月半頃、旭三の叙勲となるが受けますかとのことだったので、まだ非常勤ながら出勤しているから辞退する旨答えた。卜部氏から同様の電話があったので、真意は、長い間お仕えしお世話になった昭和陛下からなら喜んでお受けするが、殆どお仕えしていない現陛下からは受ける気にならない、と伝えた。
小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019
恐るべき一致です。もちろん、卜部亮吾は上司であるから「親しい友人」と同一人物であるかまでは断言できないものの、大内糺は小林忍元侍従の近辺から内部事情を知り得た人物であることに間違いありません。
皇室作家の工藤美代子は「この人物(大内糺)はどうやら侍従など内側の詳細を知っている者ではなさそうだ」と述べているが(『美智子皇后の真実』幻冬舎)、実際にはそうではなく「侍従など内側の詳細を知っている人物」である可能性が高いのです。(元侍従が受勲を辞退したという話題は『サンデー毎日』1993年6月27日号が初出のようであるが、「K元侍従」とイニシャル限定されたのは大内糺が初です)
事実、別の記事で詳説する予定であるが、小林侍従は平成の天皇陛下、および美智子さまに対し何度も苦言を呈しています。
小林侍従のみた今上陛下と秋篠宮殿下の違い
このように平成終わりに刊行された小林侍従の日記が、平成初めに起きた「美智子さまバッシング」が正しかったことを証明するとは、驚き以外の何物でもありません。小林侍従の日記には、平成皇室の実情が何度も取り上げられます。そしてそのほとんどは、平成の両陛下、ならびに秋篠宮ご夫妻に向けられた「諌言」なのです。
例えば、秋篠宮殿下が紀子さまと結婚された折に取られた写真については次のように評価されています。
平成2年6月20日(土曜日)
この四方のお写真は、正式の記念写真として問題がある。秋篠宮殿下が両手を前で組んでいるのは論外。最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、こんな姿勢では良識を疑われるというべきである。従来から殿下は両手を組むくせがおありのようで、そういう写真をよく見る。陛下の左手も甚だよくない。掌を大きく開いている。自然にのばすか、軽く握るかすべきであろう。これもくせらしく、竹の間における国賓との写真でもみかける。
いずれもこの場に立合ったに違いない側近(侍従か)の者が当然注意してお直し願うべきである。カメラマンはそこまで立入って申しあげることはできない。折にふれ報道される写真であるだけに、特に日頃からキリットしない動作の多い秋篠宮殿下にとって大きなマイナスである。立合った側近の責任重大である。
小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019
その写真とは次の一枚。
「論外」「良識を疑われる」「日頃からキリットしない」「大きなマイナス」と驚きの評価だが、皇太子殿下(現、天皇)と雅子さまの写真を比べればその差は瞭然です。
読者の皆様も驚いていることでしょう。令和の両陛下の結婚写真には凛とした高貴さが漂っています。結婚された皇太子殿下の精悍な表情と、雅子さまの慈愛に満ちた優しさが写真全体から伝わってきます。これこそ皇室の威厳なのでしょう。
紀子さまと雅子さま
また小林侍従は秋篠宮殿下と紀子さまの結婚については次のように述べています。
平成元年9月26日(火曜日)
御結婚の日どりは来年6月末ときまり発表された。6月半ばに英国での御修学が実質的に終了するので、殿下の早い御希望に応えてそうきまったらしい。9月説もあったというが、そのほうが9月まで御修学の期間なのだから当然なのだが。
小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019
秋篠宮殿下は、周囲の声を押し切り「今すぐ結婚できないなら皇籍離脱する」との覚悟を見せたが、宮内庁内での反発が多かったことを如実に示しています。
また雅子さまと紀子さまの違いについては次のように。
平成5年6月9日(水曜日)
皇太子結婚式。(中略)妃殿下の洋装がよく似合った。
平成5年6月22日(火曜日)
秋篠宮邸前を通ったが、門前の車庫前に同宮妃殿下がお子さんをつれ運転手とお話ししておられたので、おじぎをした。全く普段着のスラックスにTシャツという姿で、最初は妃殿下とは気づかないほどだった。
小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019
この二つの日記は連続しており、興味深い。小林侍従の真摯な感想であるに違いありません。どうしてここまで差がついたのでしょうか。それは雅子さまの育った環境が素晴らしく、慢心することなく真摯に育ったからでしょう。
令和の天皇家ご一家と秋篠宮家の「違い」について言及されることが多くなってきたが、それは(表に出なかっただけで)昭和・平成の時代からあったことは間違いないと思います。
両親がまったく別人なので、二人が全然似ていないのは当然。
長男は帝王学をしっかり身につけ、論語素読に始まり、古典の勉強を続けるのに対し、”義理の次男“(養子)はセイハクゆえに何も学が身につかず、性欲のコントロールもままならない。
もちろん素読もできなかったとどこかに書かれていました。
この差が、二枚の写真対比からよく窺えます。
見て子の表情も違います。
雅子さまのときは、きりっと前を向き、緊張している見て子。
なのに紀子のときには、ダラリとなって、バラック妃ではほんとしょうがないわねーと、諦めムードの表情が出ています。
ミテコの心の声
対紀子「アテクシの引き立て役にピッタリ」
対雅子さま「ウワッ!スゴいオーラ。こっちが食われそう」
いや 食われてる!
川島ノーパン紀子は常に悪事を企む顔。
今は、久子さまからJFA名誉総裁職をどうやって奪おうか考えていると思う。
サッカー協会にしてみれば、久子さまみたいに、海外のVIPを堂々と接遇できるような人じゃないと意味がないだろう。
用意された原稿を読むだけの秋篠宮じゃねえ。
—
2005年読売新聞社から発行された『高円宮憲仁親王』に付属されているDVDで高円宮さまについて川渕会長(当時)は
「サッカー協会にとってね、やはり一番の自慢はね、海外行ったりあるいは日本に外国の要人をお迎えした時に、殿下があのネイティブイングリッシュでべらべらべらーと喋られるでしょ、しかもかっこいいじゃないですか。それがね、僕らのね、本当に誇りだったんですよね。自慢の名誉総裁だったんですよ。殿下のおかげで日本サッカー協会ってのはずいぶん地位が上がった感じさえある。僕らの太陽とか言ってたんですよね。サッカー協会の太陽ですね。そういう表現が一番ピッタリと僕は思います。」
と語った。
—
(列外派星くず日記より)
海外王室は「血筋ではなく実力によって王になる」という戦国時代のノリだから、女系の外孫に生まれても王位を継承できるし、逆に王族に生まれても自己研鑽に努めなければ王として認められない
「皇統のY染色体を持ってるから、何の努力をしなくても偉いんだ」というスタンスの秋家は海外では通用しない
しかもY染色体なんて、最近の降って湧いた話しなんですけどね。
愛子さまが、悠仁を見るひきつった目が印象的な写真ですね。
これは公表のときから物議を醸した写真です。
子供のリアクションは正直なので、悠仁がみつくちで手術され、ギザギザに縫合された口元を間近で見せられ、恐怖に引きつっている感じがよく出ているからです。
この写真には写っていない、愛子さま側に向けられた悠仁の顔になにか異形の者、はっきりいうなら奇形箇所があったからこそ、愛子さまが見てはいけないものを見ているような表情をされているのだろうと拝察いたします。
手術しても奇形の跡は残ってるはずだから、今でも公表される画像・動画は全てフォトショで奇形を消してるんでしょうね
だから直に会った人しか奇形の存在を知らないし、初対面の人はみんなギョっとするわけです
鯰が嫁と小学校の創立記念日に出向き、花束を抱えて深々とお辞儀をしています。
なんですか?
お辞儀、出きるじゃないですか。
だけど、ここでこんなに深くする必要あるんですかね。
天皇陛下には絶対にできない人ですよね。意地でもしない。
TPOを良くわきまえましょう。
あ、子供達に
“帰れ”言わないでくれてありがとう。
ペットボトル投げつけないでくれてありがとう。
あたたかく迎えてくれてありがとう。
のお礼かな?
兎に角、この方達やってることがチグハグすぎる。
こんな子供相手にきっちりお辞儀してイメージアップ図ろうとしたって、もう無理よ。
皇后雅子様と鯰嫁なんて比較するに値しない。
サラバがお正月の一般参賀でどんな態度をとるかしっかり見ておきましょうね。
宮内庁にクレームつけてやりましょう
「一般参賀は引退した老人の出る場ではない」
「一般参賀は嫁いびりの場ではない」
「一般参賀になぜ安西文仁一家が壇上にでてくるのか?
安西文仁氏は参賀にくる国民側人間なのに、DNA鑑定は?」
正月からしにかけ老婆を見たく無い、縁起悪いから一般参賀に出すな❗️と971 にハガキ送ってまっせw
キコも肘を張る癖は本当に昔からだったんだね~。
朝○式だっけ?
朝○式かどうかは、アン西ムン仁さんに聞いてよ
パン助上がりの富美子さんの連れ子では
正田家の実子ではなく東大卒の学者がいても見て子とは何の関係もない
見て子は知能が低く学業成績もはったりをかましたのだろう、
ヤンキー相手に、行きずり相手に自ら
声かけ試し乗りを謳歌、よく皇室入りしたものだ
性癖は止まる事なく安西の子を孕み産み落とした破廉恥狂人
紀子とは同質同類最悪女達
雅子様にパン助達が、敵う訳がない!
ご実家の方では処分したのでしょうが、ミテコの疎開先の学校の通知表が残っており、かなり成績は悪かったようですね。
ついでに、横暴で素行も悪かったことが一緒に記されています。
見てみたいです。
聖心女学校と違い、田舎の公立には箝口令が及ばなかったからちゃんと残っていたんですね
権力に屈さず大切に保管してくださった先生方(たとえ日教組系だとしても)に感謝します
凛として綺麗な雅子様
傾いてまっすぐ立つことのできないノーパン
育ち容姿頭脳とすべて正反対
美智子さんは賢く美しい雅子様に僻みしかない
低能の老婆と自身で公表したのです。
どうして差がついたのか?
最初から資質が違います。
そして選ぶ方の資質もね。
鯰と天皇陛下とでは天と地。
鯰も見る目が無いばかりか、自分と似たような輩を選んだと言うだけの事。
良くも悪くも「類は友を呼ぶ」ですね。
そして、そのDNAは馬夫婦に引き継がれました。
カコとヒサヒトにも。
見て子や紀子がひそかに危害を企て、紀子が幼なじみの息子を使って小学校で敬宮さまに対する暴行事件を引き起こしても、愛子さまはくじけず、賢くおなりになられ、精神的にもお強くなり、他者への思いやりの心、恵まれない生きとし生けるものすべてへの愛情が一層深くなられ、まるで観音さまのように、ますます国民の敬愛を受ける存在に成長されましたね。
宮号にあるとおりの「敬(われる)宮」
そうです。
敬いを一身に受けられるお立場になられました。
これまでの歴史で、国民の方からの声で
「敬宮さま、どうか次の天皇になってください」のように
皇位継承への懇願が殺到する皇太子や天皇があったとは聞いたことがありません。
日本国憲法第一条に規定する「天皇」としても、敬宮さまは”史上最高傑作”になられると思います。
ご両親の両陛下も、さぞや誇らしいことでしょう。
お二人の”作品”がこんなに敬愛を集めるなんて、素晴らしいの一言です。
ただそのまえにみなさんの世論の声で、あの偽皇族駅南一家を追い出さなければ日本の未来はありません。
敬宮愛子内親王殿下という一人の人間に対し「最高傑作」「作品」という表現は不適切と思いますが、言わんとすることはとてもよく解る! よくあれほどまでに光り輝く姫宮におなりあそばされた! さっさと皇室典範変えて、愛子天皇を認めろ政治家!
この写真、キコさまの柔和な慈母の表情に対してアイコちゃんのヒサを見つめる目が怖いンだわ
幼いながらも皇位が奪われたことを認識したのであろうか
キズだらけのの顔に驚いて引いてるんだな。
見た職員も見てはいけないものを見てしまったと言葉を発した。
愛子さまは分かってたのさ『この子らヤバい!』とね
こんな抱き方する人見たことないわ
これでは子供落とすだろう。
かなり前から、この赤子時代の写真の坊は、体が垂直or硬直している→ここからもう障○疑惑が出ていたな。
紀子の生家が静岡のどんな場所にあったのかを知れば
これでもまだ皇后になるとかよく言えるものだと呆れるわ
皇室に水平思想は要らないし通用もしない
舌打ち癖をどこでなぜ覚えたかも生家の場所からわかること
もっとも夫が安西文仁だと知って皇室に寄生しにきたのなら
付け入る隙をつくった美智子にも半分責任はあることに
昔、元侍従職にいた人物が『文仁(秋篠宮殿下)さまが、髪型をパンチパーマにしたいと申されましたが、おやめになるよう申し上げました』みたいなエピソードを、テレビ番組で話していたのを思い出しました。
テレビ番組を観た年代は忘れてしまいましたが、皇族がパンチパーマに興味有るのかと思い、すごく印象に残っています。
パンチパーマなんて昭和の893か北○三郎かパンチ○藤くらいしか思い当たらないのですが、どちらにせよ良いイメージの無い髪型です。
ただ昨今の秋篠宮殿下や昔のエピソードを見てみると、天皇陛下とは最初から何もかも違い過ぎたのかもしれません。
その違いも皇嗣でなければ問題無いと思いますが、突如自分も天皇になるかもしれない可能性が出てしまったおかけで、嫁共々品位の無さが露呈してしまいましたね。
yoshiepen’s journalで、いろいろ詳細に取り上げられてあます。
2021~06-21
『入江相政日記』が暗示する皇室の「キリスト教汚染」の企み
小泉信三はGHQの回し者か?小泉信三のお膳立てによる「テニスコートの恋」
皇太子教育係 ヴァイニング夫人もその駒?
浜尾侍従長から見た美智子前のヒステリーと傲慢と奔放
2021~02-24
『雅子皇后陛下への嫉妬が原動力だなんて恥ずかしくないですか、美智子さん。国際的にも広く知られてしまっていますよ。』
嫉妬に狂った夜叉、美智子前。この人がどれほど日本の国益を損ねてきたことか!今や醜い姿を晒し、嗤い者に成り果てている。
美智子前、何ヵ国語どころか英語さえまともに出来ない。ましてや教養も他の皇族の方々にははるかに及ばない。あの年齢の中流以上の子女なら嗜んでいたお茶、お花等とは無縁で、唯一ピアノが少々弾ける程度。
大正天皇の実母の柳原愛子(柳原白蓮の叔母)さまといった旧皇族の方々がこの人の入内に強く反対されたのは、出自の問題もあるだろうけれど、それ以上に、この人の「評判」から皇室には必須とされる教養をおよそ身につけていないと推察されたからではないか。
知的向上心の乏しい秋家の娘二人はこの人に似たのかもしれない。
◈平成天皇夫婦とは反対に、当時の東宮殿下と雅子妃殿下はヨーロッパ王室からは何回となく正式に招待されている。
雅子さまが美智子前の苛めで病まれていた2006年8月、オランダ王室の王と王妃は心配されて、当時の皇太子一家を招待してくださった。雅子さまに寄り添おうとしてくださった。
ヨーロッパの王室にはネットワークがあって、美智子前の狂気ぶりはしっかりと共有されているんでしょう。
(オランダ訪問の折の当時の皇太子ご一家。とても素敵な写真を3葉アップ)
パソコンで検索したものを、スマホに書き写したので、語句の間違いがあるかもしれません。
でも、yoshiepen様は、他にもたくさん美智子さんの卑劣・非道なやり口を記事にアップしてくださっています。
A宮は、いつも股間に手をおいていないと、不安なのだ。これは、自慰常習者に見られる性癖です。
早い時点で去勢手術を受けさせとけばよかったのに。
上皇夫妻、A宮家一族、KN庁・・・ それらの意地悪目線に刺されまくってきた天皇一家。
まるで、ロシア、北朝鮮、中国に囲まれた日本のような立場の天皇ご一家。
味方は国民だけ。うーむ、日本の主権は国民にあり、というのは嘘か。
雅子さま=「本当の皇族」の妻になられた皇后陛下
安西紀子=「偽皇族に嫁いだだけ」で
「雲の階段」を上ろうとしているだけの女
この差は如何ともしがたい格差を生みますが紀子の自業自得
差がついた、 のではなくて、 最初っから 雲泥の差、 であったのでゴジャリまする。
ニンニン。国民 忍耐の術。
雅子皇后様ときこに差がついた・・・て、そんな初めから比べる相手ではないでしょ!
雅子皇后様は結婚前からいわゆるエリートの出身、それに比べてきこは日本人でもない庶民以下のレベル、知能でしょ。
皇室に入ったのも堕〇で恐喝しての結婚、当時、文仁も『川島家になんか押されてしまって』と婚約後のインタビューで発言していたというのを読んだけど。だから結婚後早くにもう冷めていたそうだし、最近の文仁の誕生日の家族映像もきこは仲むずまじくみせるために必死だったけど、文仁は顔も合わせなかったよね。もう仮面夫婦なんだけど、文仁はおそらく別れたいけど、ショラテンの母親の地位につきたいきこは意地でも別れないだろうし、そんなことになったらきこのバックが怖いことも文仁は知っているのでは?いずれにしろ自分で蒔いた種だけど、別れたかったら、DNA検査で潔く皇室を離れ一般人になったらきこと離婚できまっせ!
本当に。
キコみたいな下賤な女を、皇后様と同じ土俵の上に立たせること自体ナンセンス。
ところで、キコの扇(?)の持ち方、脇を開けちゃってるけど、隣国のやり方じゃない?
正しくは雅子様の持ち方。
こういうところから、キコの品のなさが分かっちゃうのよ。
お妃教育もきちんと受けなかったこともね。
静岡駅南は数代前のことだから知らなかったにせよ、おんぼろ団地育ちの娘が皇族妃になることは誰だっておかしいと気づくはずです
「団地の子と遊んじゃダメ」
ってみんな言われて育ったはずなのに、なぜ団地の子が皇族入りした時だけ「庶民的」とポジティブに言われるんですか?
それって「貴族あれば賤族あり」という水平思想ですよね
いまでは雅子さまはたった8億円で御所改造し、すでに海外要人をお出迎えですが、紀子ときたら、44億もかけたのに、話題となったのは悠仁用の私的監置施設(地下座敷牢)の存在と稼働だけで、当初はブータン王女をこけら落としに招いたら、早速悠仁が王女に対し痴漢行為をしてしまい、怒った王女さまが秋篠宮家全員のブータン出入禁止を指示という祟られよう。
いまでは正式引っ越し前から使用開始した座敷牢からの悠仁の悲鳴(といっても声変わりしたので、不気味な狂人の叫び)が新宮邸内にこだまするホラーハウスになっただけでした。
筑波大附属高校に進学できるようなお子さんのために座敷牢を作った紀子、それも国費からですから、よほどの精神的御病気を疑わさせられます。
病気でなくても、精神薄弱でかつ凶暴だと自然と病院送り、措置入院になりますからね。
家族の安全を守るために、自宅で措置入院させられるような監置施設をこしらえたと了解しました。
座敷牢から悲鳴をあげているとの情報からも、とうとう終わったんだなと。紀子主導の療育失敗のツケがこうやって座敷牢設置となり、三歳時点で、発語を優先するため突然解雇された第一期療育チームの残した「体幹を先に鍛えておかないとあとで手のつけられない子になる」が見事的中しましたね。
いや悠仁はすでに御用済み扱いなんでしょ
あとは明仁の冷凍精子と雅子さまのような秀才の卵子をアメリカ国内で買い求め、眞子の子宮だけを借りて、デザイナーベビーを孕ませ、もちろん男児を産まさせて、男系男児だとやる気だから、女医をわざわざ大金かけてまでアメリカに送り、美智子からは前金として数千万の祝い金が内廷費から支出されて(不正に)送金されたのでしょう
要らなくなった悠仁は、残る生涯を座敷牢で暮らす運命に
この時の悠仁さんのお姿、、、手をしっかりと握りしめてお体全体が硬直している様なのですが、、、癲癇発作なのでは?、、、本当に悠仁さんはお気の毒なお方です、、、。
もう血が濃くなりすぎてカルロス2世のように複数の障害を併発してるんでしょうね
不謹慎な言い方かもしれませんが、産まれてきたこと自体が間違いだったんだと思います
確か安倍さんが総理になった年に、女系潰しのために作られた人造人間でしたよね
安倍さんの終わりとともに悠仁さんも終わったのは運命の皮肉ですね
血が濃くならない様にと、昭和天皇は国民からお妃選ぶ事に賛成したそうですけどね。
最初の写真、何か変じゃないですか?赤ちゃん、ギプスしてるみたいに見えます。
秋篠の結婚の写真を改めて見ると、記事の部分以外も変である。
明仁の膝に置いた手がチグハグ。
キコののスカートが秋篠の左足を隠している。
キコの手袋が左右で長さのバランスが違う。
キコのティアラが傾いている。
ミテ子の視線がカメラに向いていない。
ミテ子のスカートが広がり過ぎてバランスがおかしい。
後ろの壁が近すぎて変な影が写っている。
・・・なんでこんな雑なんだろう。
侍従や女官以外にも、衣装係や花嫁の担当やカメラアシスタントが付いていただろうに。
一般人の結婚記念写真でも、もっとちゃんとしていると思うが。
もしかして、この場にいた全員が「どーでもいいわ、こんな写真さっさと済ませてしまえ」と思っていたのであろうか?
マコトを写すと書いて、写真だからねえ。