文・もっちゃん
目次
紀子さまを巡る不穏な噂
現在、眞子さんと小室圭さんの問題や、悠仁さまの受験問題のために、多くの国民から批判を浴びている秋篠宮家。
特に、小室圭さんの結婚に関しては、母親の佳代さんが反社団体の関係者と交友関係があるのではないか?といった噂や、佳代さんが、遺族年金を不正受給していたのではないか?といった疑惑も浮上し多くの国民からの批判を招くこととなりました。
こうした数々の問題のために、近年特に世間からの風当たりが強くなっている秋篠宮家ですが、じつはこうした不祥事の数々は、必ずしも、近年のみのことではありません。秋篠宮家、特に、秋篠宮殿下と紀子さまに関しては、結婚当時から様々な黒い噂が囁かれていました。
そうした噂の一つが紀子さまの堕胎問題です。紀子さまの堕胎問題に関しては、一種の都市伝説のように現在でも根強く語られています。
紀子さまの堕胎の噂に関しては、二つの説があり、一つは、秋篠宮殿下との結婚前に妊娠し、スキャンダルとなることを避けるために堕胎し、出産をしなかったという説。
それから、もう一つは、佳子さま出産後に、男子である悠仁さまを出産する以前に生まれた女子を堕胎していたという説です。
おそらく、後者は、紀子さまが佳子さまの出産から悠仁さまの出産まで長い期間が空いていたこと、それから、紀子さまが男子の出産に強いこだわりを持たれていたために生まれた一種の都市伝説であると思います。
ですので、今回は、より信憑性の高い、紀子さまが秋篠宮殿下との結婚前に行ったとされる2度の堕胎について解説していきたいと思います。
紀子さまが堕胎をされていたという噂は、秋篠宮殿下と結婚された当初からなされているようです。そのころはネットが普及していませんでしたが関係者から口コミで噂が広まっていったそうです。当時は、以下のような噂が出回っていたようですね。
「紀子様は2回堕胎されたと高田馬場近くの医師が話していた。」
「紀子様は2度も堕胎を余儀なくされた。そのことを紀子様の父親の川嶋教授が両陛下に苦情を申し上げたことで結婚が決まった。」
「紀子様は学生時代、秋篠宮殿下に3回中絶させられて親が皇室に嫁がせないと暴露すると言って怒っていた。」
「昭和天皇の喪中にもかかわらず結婚を早急にしなければならなくなり婚約会見を開いた」
こちらのコメントにもあるように、紀子さまと秋篠宮殿下は、昭和天皇の喪中に結婚されました。昭和天皇が崩御されたのは、1989年1月7日でしたが、お二人が結婚されたのは、同年8月です。
眞子さんと小室圭さんの結婚ほどではないにしても、秋篠宮殿下と紀子さまの結婚も多くの国民から反対を受けることとなりました。そして、反対を受けることとなった非常に大きな理由の一つが、喪中結婚であったことなのですね。
紀子さま異例のご結婚騒動
「週刊文春オンライン」の記事では、秋篠宮殿下と紀子さまの結婚は異例中の異例であったとして、次のように解説されています。
天皇家のご次男の、思いがけないご婚約発表。その、お相手として紹介されたのが学習院大学教授の娘であり、同大学院に通う川嶋紀子だった。
世間は大いに驚き、人々の眼はテレビや新聞、週刊誌のグラビアに釘付けになった。
皇室担当記者が語る。
「考えてみれば異例中の異例の出来事でした。宮内庁記者たちは、まったく想像もしていなかったでしょう。まず第一に昭和天皇が1月に亡くなられた、その年の8月のことで、まだ喪中でしたからね。しかも、礼宮は学生という御身分、当時はイギリスに留学中でした。年齢もまだ23歳とお若かった。兄宮に先駆けるというのも、長幼の序を重んじる皇室において、考えられないことだった」
「週刊文春オンライン」(2021年4月13日配信)
また、あまり一般には知られていませんが、実はお二人の結婚前に崩御された昭和天皇は、お二人の結婚に関して、強く反対されていたようなのですね。ある宮内庁関係者は、当時の様子を次のように語ってくれました。
「昭和天皇は、紀子さまのことをあまり好いておらず、結婚にも反対されていたようでした。お二人の結婚が昭和天皇の崩御の後になされたのは、結婚の最大の反対者であった昭和天皇がいなくなったタイミングで、“結婚の絶好のチャンス”だと思われたのでしょう。
昭和天皇が崩御された際に、紀子さまや、紀子さまの父である川嶋辰彦氏は、“これで結婚できる”と大変喜ばれていたそうですよ。
宮内庁の中でも、結婚に対して、慎重論の声が強かったのも、単に昭和天皇崩御後の喪中であったということのみならず、そうした紀子さまや、川嶋教授の態度に不信感を募らせていたためでもあったのでしょう」(宮内庁関係者)
「フォーカス」(1986年10月24日号)には、結婚前の秋篠宮殿下と紀子さまの交際の様子に関して、次のような皇室担当記者の言葉が紹介されています。
「彼女はよく1人で東宮御所に遊びに行っていました。秋篠宮さまの運転するオレンジ色のフォルクスワーゲンで御所内をドライブしたりデートを重ねたりしていました」
「秋篠宮さまの部屋で2人きりで2~3時間過ごし、侍従が慌てることも何度かあった」
「フォーカス」(1986年10月24日号)
妊娠の噂にも冷静だった宮内庁
当時から、無類の女好きとして知られていた秋篠宮殿下ですが、紀子さまの方から積極的にアタックしていったという噂も残っています。
「紀子さまは、当時からたびたび、秋篠宮殿下と二人きりで数時間一緒に過ごされることも多かったようですからね。
紀子さまの妊娠の噂が流れた際には、宮内庁の職員の間でも、それほど驚くようなこともなかったようです。むしろ、“やっぱり、こうなってしまったか”といった雰囲気でした。
当時流れた紀子さまの妊娠の噂が事実であったのかは分かりませんが、もし、本当に紀子さまが結婚前に殿下の子どもを身ごもっておられたとするなら、宮内庁が、中絶を勧め、紀子さまがその勧め通りに中絶をされたという可能性は十分にあるでしょうね」(前出の宮内庁関係者)
秋篠宮殿下の子どもを身ごもり、宮内庁からの勧めに従って堕胎し、そのことをネタに宮内庁などに脅しをかけて、昭和天皇の崩御後に結婚を強行してしまう。
果たして、こうした噂がすべて真実かは分かりませんし、とんでもない話ではありますが、このように考えれば、色々と辻褄が合うことも確かです。何より、現在の紀子さまの何でもありでご自身の要求を実現させてしまうご様子をみると、こうした噂にも真実味を感じてしまいますよね。
皆さんは、紀子さまが、本当に秋篠宮殿下との結婚前に堕胎を経験されていたと思いますか?また、この堕胎をネタに宮内庁に脅しをかけたとされる紀子さまの性格について、どう思いますか?是非、コメント欄に感想や意見をお願いします。
ご拝読ありがとうございました。
紀子の婚約会見で、会見中なのに、紀子がさかんと流し目で横の文仁を見る姿に、当時の上流奥様たちは「何あの娘。まるでバイタみたいね。嫌らしいったらありゃしない」とさんざんな評判だったそうです。
静岡市内のバラック住宅で生まれていた紀子。
その下品な流し目に、昭和天皇もいたくお怒りだったのだとわかりました。
喪中婚約への非難から一生逃れられない紀子です。
これは本当の話だろうね。当時都内でタクシードライバーやってたのだが、宮内庁の職員を乗せたときに川島家にうまくやられたと言ってたのを聞いたことがある。職員同士で話してた。当時の美智子妃殿下が直接川島家に挨拶に行ったのも異例だったし、挨拶ではなく謝罪だったと、
何をいまさら。
ウワサではありません。ジジツです。
今はなき「日々是々」の中で、確かな内部関係者の方から知りました。
二度ではないと書いてありました。
秋篠とキコの有名すぎる校内でのなにやら。
バカを通り越しています。
大学へは来るな、追い返せ!
当時自分がいたなら叫んだと思う。
今から考えると、川島家の品のなさは、小室家を凌駕していたな。
小室家は川島家をトレースしているだけで、川島がいなかったら、小室もいなかった。
そうね、彼女は安在文人さんと一緒になっただけです
はい、ほどなくいまの地位は幻と消えます
水子供養を怠って、更なる生命倫理違反の男子産み分けなんてやったからです
おとなしく女児誕生で満足しなかった報いがあの息子
「あの頃は大威張りだったのに」
「息子が障害児だったら右翼からも掌返しされたわ」
「で、いまは暴力団員が一族に入ってきた」
「これが静岡のバラックから赤坂村に嫁ぎ、雲上人の夢だけ見て、やがて放逐されてしまうあたしの運命」
紀子さんの堕胎の話しは日本人の間だけではなく、外人の間でも有名でした。
海外特派員協会(FCCJ)や米国商工会議所(ACCJ)に出入りしていた記者や企業幹部達の格好の話題だったといいます。当然、こうした彼らが、本国の王室や上層部に情報を伝えたことでしょう。
A宮夫妻の外国訪問が大歓迎といかないのも、こうした素性を知られているところに一因があるのかも知れません。もっとも、行いを改めて謙虚な気持ちで相手国に接していれば、また違った展開になっていたでしょうに、残念な方々です。
結局のところ、避妊をしない鯰殿下の下半身の節操のなさが招いた事。
隠し子が3人いるとか。
下半身の節操のなさは、お皿譲りの遺伝子か?。
そうそう、キコだけの話じゃないよ。
アーヤ避妊を教えても理解できなかった。
オツムがアレだしね。
アーヤもキコも単細胞なので、コーフンしたらそれっきりなのだと思う。
ここで話題を振ってもアレだが、知的障害者の妊娠問題は本当に頭が痛い。
風俗にいくような貧乏の連鎖の子供に、ボーダーの子はとても多い。
キコはそういう女の子にとってスカーレット・オハラのごときスターだね。秋篠家を支持する人たちがいるのも、そのせいだと思います。
・・困った問題ですね。
良いロールモデルがあればいいのですが。
お皿さまの実子ではないから、火葬愁訴になってきているわけで、DNA上、文仁はまったくの平民の出でしかありません。
なのに皇室の子に偽装されてきたことで、運命の歯車が狂いだし、ごらんのような自堕落な生活ぶりで、内外のあちらこちらに婚外子ができているありさまですね。
そういう紀子も浮気の子を産んでいるのでおあいこなんでしょう。
よくもまあ、こんな人達に様までつけて手を振って、平気で公務などと宣って国民の前に出てきたものだ。
よそのお国なら生卵が飛んでくる。
ホントに公務辞めて!そして止めて、宮内庁。
海外にまでこの話が広まっていて、ほんとなら人前になんて出てこられないはずなのに、昔から私達“平民”の感覚、常識とはかけ離れていた。
信子様がいろいろな理由でマコに汚らわしいと言った言葉は、秋家全体に当てはまる。
今後一般参賀から秋家は外してほしい。人を見下げて手を振るな!
キコは子供の事にあれやこれや言える立場にない。
自分のしてきたことが見事に自身に返ってきた見本のような物。
しかもこれまで反省も学習もしないから、マコもカコもズル仁も手がつけられないレベルまでモンスター化してしまった。
とるべき道はただひとつ。
おこもり下さい!
この信じられないような都市伝説が真実だとすると‥
堕胎は母体に大きなダメージを与え、その後の妊娠が難しくなることも多いと聞きます。
だのに、これだけ堕胎を何度も繰り返しながら、よく次々と新たな妊娠が叶うものだと、驚愕です。
驚異の身体能力というしかありませんが、ご本人の資質や努力ではなく、身体能力によって皇統が左右されてしまうという不条理に心が痛みます。
これを信じられないという人が、信じられないな〜。
このふたりの婚約当時から、ダタイは有名な噂でしたよ。
まだネットなんてなかったのにね。
星屑ブログで「その噂、どこで聞きましたか」アンケートやったら、全国区でした。
若き日の過ち?ナイナイ、ウソウソ。
皇族と結婚するための実績づくりでしょう。
正田家ですら皇族との婚姻は一度は「うちなどがもったいない」と遠慮して見せたんですよ。
最初から大喜びで「でもウチはおカネないから全額そちらで出してね」と言ってのけたのは
この昭和のKKさんのおうちだけですよ。
本当にね~。「知り合いの息子さんが東京の大学にいて、その人から聞いたんだけど」というふうに、口コミだけで全国津々浦々まで広がりました。
「知り合いを6人たどれば誰とでもつながる」という実験みたい(笑)
こちらは地方なのでそこまでの噂は入って来ませんでした。ただ、二人っきりで部屋に何時間も籠って出て来ないので、側近が困っていたとはチラッと聞いた事があります。今日某動画で事実らしいと知り、やっぱりそうだったのかと思ってたところでした。何か留学中に…という噂がありますね。
鬼子は、鋼の子宮を持っています。
堕胎をすると、現在は、お腹がきれいになって、かえって妊娠しやすくなるといいます
紀子さまも秋篠宮さまもサイコパスですから、ものすごく身体が丈夫で、繁殖力も強いのではないかと思います
この人の子どもがほしい、この時期に産みたいとはいかず、いらないところやいらない時にできてしまうのが子どもを授かるということです
だから難しいし、面白いのかもしれません…(悲)
キコは最初は今上陛下を狙っていたのです
失敗に終わったのでアホのあーやに切り替えた。
有名な話です。
つまり川嶋親子は始めから皇室に入るためにアホのあーやに近づいたのです。
堕胎も計算づくめの事です。何せ川嶋の父親はホルマリン漬けの胎児を持参して天皇家に殴り込んだそうですから。これも有名な話です。
まあ日本人の感覚ではありえないけど、キコの故郷の北朝鮮ではごく当たり前の事なのでしょう。
バラック育ちのキコが、公爵や子爵のご出身の皇族の方々の中に入るなんて・・・・これも北朝鮮人ならではの事でしょう。
川嶋の父親も凄いですね。自分の娘を”性の対象”とし、アホのあーやに美人局をさせるのだから・・・
普通中絶した胎児はホルマリンになんか入れないよ。
中期中絶で形がある場合は、小さな木の棺桶にワタに包んで安置して埋葬するんだ。
だいたいホルマリンなんか一般人がわざわざ買うにしろ、特別な材料店に出向いていかないと買えない。
もし産婦人科で「胎児を相手に見せますんで、ホルマリン漬けにしてください」と言ったって、断られる。
すぐ燃やすべきものだし、永久標本を作るための処置をする理由がない。
どうしてもというんなら、写真にでも撮っておけばいい話。
カワタツが恫喝した時持って行ったのはホルマリン漬けの胎児ではなくて、泣く子も引きつる同和のドン野中広務氏だ。
胎児で脅したのではまく、野中広務で恫喝させた。
どっちが恐ろしいか、考えてごらんですよ。
へなちょこ明仁など、10分ともたないぞ。
宮内庁の職員曰く
川島さんが乗り込んできた事実はありません。
その当時私は秋篠宮付きの職員だったから、そのような事は絶対無いです
との事。
職員まで平気で嘘をつきますよ。
仮に秋篠宮が“平民”だったとしても、近所にこんな男と女がいたら、後ろ指指されるレベルで一生語り継がれていきます。
それが皇位継承されるだなんてねえ。国内はもとより、海外に向けてなど恥をさらけ出す行為です。
この辺りの話って、どこまでホンマの話か分からんな。
しかし、皇族方のお印の由来を知るにつけ、紀子だけは何で変なんやろか?
昭和天皇がアーヤと紀子の結婚に反対していたとしたら、何で紀子のお印の由来に昭和天皇が出てくる?
色々、嫌な話が隠れてそうで、この記事がガセとも言いがたい理由の一つなんよ。
https://jpnculture.net/oshirushi/
そんなことでも無ければ、
皇族との結婚とか、絶対にあり得ない。
そういうことでしょう?
当の二人が望んでも、
周囲が絶対に許さないはずなのに、許した。
許さざるを得ないヤバい理由が存在する。
戦後、皇室から私有財産を没収して国庫に入れて、税金を支給するようになってから、
臣籍降下した旧皇族は土地をプリンスホテルに売ったり色々しながら必死で生きて来た。
体面を保てない事を悲観して自殺した人も居た。
だから女性皇族が結婚するときに一時金が支給される。
それは天寿を全うするまでの年数で割れば、はした金だから、
結婚相手は一般人よりも高給取りでなくてはしんどい。
黒田さんは地方公務員だから、本当だったらアウトに近いと思う。
サーヤが年行ってからの結婚、本人が地味キャラで同じドレス着たきり雀で平気、ミテコのステルス援助で、何とかなっているのかな。
王室外交ってのは、金銀財宝散りばめた衣装で社交を行うのが含まれている。
即位の礼みたいな場に、相応しい身なりというのがある。
ミテコには品格はないけど実家にお金はあった。親族もお呼ばれの場に来ていく服を買える家だ。
本当なら家格も財産も両方あれば言う事無しだけど。
雅子陛下の実家と守谷慧さんの実家は同じくらいかな。企業経営者的な超富裕層じゃないけど、3代遡ってエリートだから両親きょうだいの「舞踏会のドレス」は買える。
川島は結婚の時の母親のドレスまで税金使ってそう。
皇室が税金で運営されているんだから、そこに立ち交じるには持ち出しが必要。だから金持ちじゃない人が皇族と結婚したら税金の無駄遣いに繋がっていく。
とにもかくにも
審判員のジャッジがおかしかろうと、
自分のやってきたことを信じて正々堂々と競技しているオリンピック選手とか、
純粋な心で書いた小さいお子達の読書感想文コンクールとか、頭脳を持ち寄ってつくったロボコンとか、
裏口でしか生きて行けない人達が交わりを持たないでいただきたい。みそがつく。
昨日は紀元節でしたが、悠仁の裏口入学問題と眞子の反社との結婚のせいで、ニュースでもまったく建国記念日の話題はありませんでした。
皇室が、紀子と悠仁による偽計業務妨害容疑のかかる裏口入試により穢され、眞子の放縦婚によって、国民から皇室の一角に穢れや我が儘があると認知されるようになって、あらためて文仁の出生からして本当に皇族なのかを疑う声が出されるようになってきたのです。
紀元節は、秋篠宮家がいるかぎり、祝いたくもなくなりましたし、国旗を掲げる家も見かけなくなりました。政府は早く秋篠宮家へのDNA鑑定実施と廃宮家へと動き、愛子立太子により、もう一度皇室の権威と信用の回復を図ってください。
紀子が昭和天皇に嫌われていたというが、そこが事実かどうか引っ掛かる。
たしかにアーヤとの出会いは昭和60年とされており、翌61年にアーヤが紀子に求婚したとされ、以後も当時の皇太子夫妻とは何回も会っている。
昭和天皇は同62年に4月の誕生日祝宴で嘔吐し、8月からは闘病生活に入った。だから、まだ元気なうちに紀子を知る機会はあったのかもしれない。
しかし、紀子が昭和天皇に拝謁した記録は無いようなので、昭和天皇が紀子の事を知っていたかも定かではないのでは?たとえ知っていたとしても、紀子の人となりとかは伝聞で知るしかなく、結婚に反対するとしても、主に宮内庁あたりが秘密で行った調査や側近奉仕者、ないしは皇族や親戚あたりの話で、懸念は示しても、あまり強いものではなかったのではないだろうか?
とはいえ、昭和天皇と縁深い訳でもないのに、紀子のお印「檜扇菖蒲」の由来を昭和天皇と結びつけて紹介されるあたり、何か隠された意図を感じる。不自然なのだ。
別にアーヤが研究していた(らしい)ので、夫婦で好きな花だったからで済む話。他の皇族方の由来もそんなもので、紀子がお手本にしている上皇后の「白樺」など、むしろ昭和天皇に関係なく、軽井沢で出会ったという自分達のロマンス神話の宣伝に利用しているくらいだ。
昭和天皇と紀子の関係は、もっと掘り下げて調べるべきだ。特に昭和天皇が紀子の事をあまり意識していなかったとしたら、むしろ、昭和天皇の御名を紀子が利用しているとも言える。
むかしむか〰️し40年以上前
県職員だった父は、仕事で同和問題を扱っていました。
家で仕事の話は一切しない父でしたが、1回だけ
“ガラス製の灰皿が飛んで来た。恐ろしかった”
と言った事がありました。
同和問題ー席を同じにするまでも大変だったみたいです。
紀子はカワタツから学んだ糾弾会の手法を使い、そのまま職員相手や裏口入学させたい学校の校長に圧を掛けるので、同和脳といわれてしまうのですね。
皇族になっても昔の出自が抜けないようで、恥ずかしくないのかしら。
テレビで流れた紀子さんのジョギング姿を見た瞬間「経産婦のようだ。」と思いました。
>「経産婦のようだ。」
すごい胴長なんですよ
はっきりいうなら短足というべきか
しかも婚約当初から腰のくびれなどまったくなかった
ああいう関係だと女性のほうに豊富な性体験があって
男にとことん奉仕することでセクス中毒に追い込む手で結婚
両親も床上手だとずっと書かれていましたから
最初はバラックだから声は筒抜け、学習院職員宿舎でも狭い3DKだったので母親のあげるあえぎ声ならば聞き慣れていて、同じように演技してみたらイチコロだったんでしょうよ
馬鹿子姉妹にも既に子供がいると噂になっていましたね。どちらもささっと養子に出されているとの由。
妹は英留学中に妊娠し、予定より早く帰国させられたのですが、羽田で下腹部が大きく張っていて、おばさまたちにはピンとこられたようですよ。
姉が少しおかしくなったのも、乳飲み子をすぐに奪われ、養子に出されたことからくる奇行の多発とかが言われていました。
さてさて真相や如何に?
姉妹は父親がどちらも違っているので半姉妹ですわね。
なのに母親と折り合いが悪くなったのは、子供を養子に出すと無理矢理取り上げられたからかな。
二人は事実婚を選んで、独身で今の身分を捨てずに子供を育てる気だったのに、スキャンダルを怖れた母が許さなかった?
そういえば週刊誌でも、事実婚を選ぶのではと書いていたところもありましたよね。
娘らにしてみれば、母親は奔放な性、ソーシャルクライマーでも許され、静岡市馬淵にあったバラックでの出生から、赤坂のチタン屋根55億邸宅住人にまでのし上がることができたのに、なぜ自分達娘には交際相手にいちいち干渉してくるのか、自分達がセレブ男子からは全く相手にもされないのは、母親のバラック出自問題が原因だからではないのか、となれば、親子喧嘩が絶えなくなったのも一応筋が通ります。
母は自身の這い上がり体験から、とにかく金持ちと結婚しろとガミガミいうし、娘は自分達の価値が不義の子の噂などで実際には低く、いわゆる御曹司からは鼻にも引っかけられない存在なことはよくわかっていて、ならば事実婚でどうだ、となるわけです。
出産には年齢制限があるようなものだから、とにかく早く子供を産み育てたい、養子にした子も返して、との繁殖欲求が溢れていて、ほかの価値は何も見えなくなったんでしょう。普通の家ではちょっとあり得ないような話だけに、同情も得られないし、税金生活だから、二言目には「税金泥棒」の声が返ってきます。
結局のところ、親がいまの偽りの地位を捨て、平民に戻ることしか解決の方法はないと思われます。
始めて知りましたが、養子話が事実としたら・・・
言葉に詰まります。
マコさんのお子は現在も秋篠邸にいるらしい?との
噂もチラホラ。
以前カコさんは双子だった説?を聞き、??でしたが、膨らんだお腹の件は知らなかった。
シスターズの様々な話が出てきて驚くばかりです。
余計な事だろうが、真実を知りたい。
お噂が本当なら
もしおこさまさずかったらご婚約なさると思うのです
皇室という世界、お世継ぎのことを考えたら、お若くてもうむことになるなどもかんがえられます
つまり、もしもお噂が本当なら、二度ほどおつきあいに周囲あるいは夫となる人などさまざまな方面から強い反対をされた方、ということになるように思います
ネットのない時代に全国的にこのお噂があったことが、いわゆる都市伝説とは不思議と同時にいっせいにわきおこるものなのだなと感じます
ジョギングなどでお体のラインが見えることもあったので、そのときに若者と思えないラインだったため、お噂が出たのかもしれませんね。
こちらは地方なのでそこまでの噂は入って来ませんでした。ただ、二人っきりで部屋に何時間も籠って出て来ないので、側近が困っていたとはチラッと聞いた事があります。今日某動画で事実らしいと知り、やっぱりそうだったのかと思ってたところでした。何か留学中に…という噂がありますね。
紀子様はご結婚後子供は4人でも5人でも欲しいとおっしゃっていたと聞きました。
堕胎と言うのは女性にとって心も体も傷つくものです。
子供は欲しかったけど、雅子様に男児が生まれるのを待たされることになったのではないかと推察します。
雅子様もそのプレッシャーには勝てずご病気になられた、その間の公務を必死にこなされてこられたのが文仁親王殿下と紀子様ではなかったかと思います。
せっかく皇室に嫁いでくださったお2人の女性が結果苦しむことになったのではないかと、そうなると皇室の有り方そのものに問題があるように感じます。
お2人のお立場を考えると皇室などなくなってしまっても良いとさえ思いますが、私は皇室が大好きです。今後も日本の象徴としてあって欲しいです。
なにとぞお幸せになって欲しいと願うばかりです。