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美智子さま聖書事件とは?
優しさに満ち溢れた皇室——。多くの国民は美智子さまや雅子さま、紀子さまの微笑みを、そして美しい家族愛に心癒されている。令和になってからも皇室カレンダーの売り上げは順調であるという。
だがこの一方で、皇族方も「人間」である以上、様々なドラマが生まれていることも事実だ。
昭和36年(1961年)の春から夏にかけて起きたとされる「聖書事件」。その存在はよく知られるが、実際に何が起こったのかについては諸説が乱立している。この記事では、当事者たちの証言を追って、その実像に迫っていきたい。結論としては「当時、宮中で聖書をめぐり重大な揉め事がった」ことは間違いない――という所まで行きついた。
この「聖書事件」のはじまりは、上皇陛下の弟・正仁親王(当時、義宮。現、常陸宮殿下)が某侍従の影響からキリスト教への信仰を深められ、そこに美智子さまの名前があがったこと。昭和天皇がそれを耳にはさみ、美智子さまを呼び寄せ激怒したことだ。過去の週刊誌には次のような下りがある。
「常陸宮(当時・義宮)は少年の頃からキリスト教に大変な関心を持っておられたんです。ある侍従の影響だったんですが、一時期は実質的な信仰者ともいえる状態だった。それが当時の天皇に知れて逆鱗にふれたんです。
常陸宮は身近の侍従をかばおうとして、つい美智子妃の名前を出したらしい。彼女なら身内だし、聖心の出身だからキリスト教についての話を聞いたといっても不自然ではないと思ったんですね」(元・宮内記者)
(中略)
ともあれ、この一件は後に常陸宮の侍従の解任で落着した。
『週刊文春』1989年4月20日号
事の発端になり後に責任を取り解任された「ある侍従」とは誰か? 1987年に出版された河原敏明『美智子妃』では「M侍従」とイニシャル表記されているが、これは村井長正(1915-1997)のことである。河原は実際に村井にインタビューを試み、「陛下(昭和天皇)は温かいお方だから、辞めずにつづけて構わぬ、ともおっしゃって下さったが、私は責任をとったわけです」との証言を得ているが、当時はまだ当事者が存命であったため実名を伏せイニシャルにしたようだ。
村井長正侍従と橋本明氏の電話
義宮(常陸宮殿下)がキリスト教に関心を持ったのには、お付きの侍従・村井長正の影響が大きかったことは疑いようがない。これはその後の報道でも一貫している。
ところでこの「聖書事件」の仔細を知る一次資料が2007年に公開された。上皇陛下の御学友・橋本明氏(ジャーナリスト、1933-2017)の著書『美智子さまの恋文』(新潮社)だ。当時、共同通信社に務めていた橋本氏は、村井侍従と「聖書事件」について次のように電話で語りあったという(この電話は昭和36年10月6日の午後3時から5時10分にあったとされる)
村井 今年(昭和36年)の春だった。ここの義宮さまが不用意な発言をされてからのこと。
橋本 奥ですか。(村井うなずく)
村井 全くまずい発言だった。あのとき以来、波乱が増大して、おかしなことになったんだよ。それが、義宮の婚約にも大きく響いちゃってね。
橋本 どのような内容だったのですか。
村井 義宮が「キリスト教を信仰している」と言われた。そのために東宮妃がてひどい立場に追いつめられて。兄弟の宮の対立が激化するし、ことば尻を掴まえて陛下を焚き付ける者が出るし。
橋本 そのとき義宮はなんとおっしゃったんですか。なぜ、東宮妃が。
村井 「私は美智子妃もキリスト教に深い理解があるので、尊敬している」というふうに。
(中略)
橋本 それはまずい。たしか選考の大方針として義宮妃は東宮妃とウマの合う人。兄弟仲を緊密にする必要を強調していたと思うが、肝心の二人がさらにここで激突するというのは味方の分裂を意味する。皇室会議であれだけ慎重に美智子さんは洗礼を受けておらず、キリスト教の影響が無いことを認めさせたのに、まるで苦労が水の泡ではないですか。
村井 ご文庫(両陛下のお住まい)で団楽があった。東宮さまはお二人ともいらっしゃらなかった。陛下が「義坊ちゃん、そろそろ結婚する年頃だけれども、どういう女性をお嫁にほしいの」と問われた。宮さまは「お姉さまみたいな女性がいい」と答えた。さらに陛下が「お姉さまのような人とはどういう女性なの」と重ねてお訊ねになった。殿下は「共に聖書を読める人」と確信をこめて説明した。そして月に一回、矢内原忠雄家から「嘉信」が送られてくると一冊を参内されてきたお姉さまに渡し、二人が同時に読んでいるとニコニコとおっしゃった。
(中略)
橋本 東宮妃はそれでどういう目に合ったのですか。
村井 両陛下に呼び付けられて、散々痛めつけられた。そして、ついに屈服させられた。「私はもう一切、キリストについては言わない。義宮が言われたことは事実でした」と告白された。新しい皇室という意味で、皇太子が美智子妃擁護の姿勢をすぐ打ち出されたのはむしろ当然。
しかし、困ったことをしてくれたということで、義宮をにがにがしく思っている。私たちが心を痛めたのはただでさえ仲の悪かった二人(の関係)が益々悪化したということ。それを義宮の結婚問題および新たな波紋で余計明らかになった反対派の政治的意図と睨み合わせて考えると、手痛い打撃なんです。
橋本 両陛下のこれに対するご措置は。
村井 義宮をこの夏那須の御用邸に呼び付けて、手ひどく、またネチネチとやっつけたらしい。ところが義宮は「決して撤回しない」と、いまでも頑張り通している。その態度を見て、皇太子は感じたらしい。義宮は身体が弱かったから信仰をもったのも自然であろうと考えるようになり、九月二十三日那須から帰って以来既に四回も、ときには午前一時まで弟と話し込んでいる。
美智子さまの土下座謝罪
先に紹介した橋本明氏と村井長正侍従のやりとりは、「聖書事件」に関するほぼ唯一の一次資料だ。事実ならば、昭和天皇は美智子さまを嫌っていたことになる。このやりとりと似たエピソードは古い雑誌の中にも確認される。
中村菊男 常陸宮が洗礼を受けられたというのはほんとうですか。
藤島泰輔 それはうそです。ただ、その危険性があったことは確かです。(中略)
たまたま常陸宮さんが両陛下と食事をされたときに、美智子さんがはいってきてくれたおかげで、私はキリスト教の話ができるようになって非常にうれしいというようなことを(中略)つるっと言っちゃったらしいんです。そうしたら天皇陛下は激怒されて、そこに美智子さんをお呼びつけになって、二度とふたたび皇室の中でキリスト教の話をしないでくれと言われた。
黛敏郎 そういう天皇にはほんとに長く生きていただきたいですね。
「皇太子“明仁親王”」『流動』1971年10月号
ここでの情報源となっている藤島泰輔氏は、小学校から大学まで一貫して学習院に通い、上皇陛下の友人であった人物だ。後に、美智子さまが「昭和天皇に土下座謝罪した」と書き立てられるようになった。
『お姉さまとキリスト教のお話ができて楽しい。いろいろ教えられた』何気なく義宮がもらした一言が、恐らく美智子妃に反感を持っていた人たちを通してだろう、天皇の耳に入った。
天皇の怒りはすさまじかった。すぐに美智子妃が御所に呼ばれた。天皇家は神道を守っていかねばならぬ立場である。そのぐらいの事は当然、心得ているはずだ。それがキリスト教に心酔するとは何事か。周りにいた女官や侍従が震え上るほどの激しいお怒りだった。
美智子妃は絨毯の上にひれ伏して謝ったが、天皇のお怒りは容易に静まらなかったという。
『文藝春秋』1987年1月号
だが、この「美智子さまの土下座謝罪」は、額面通りに受け取ってはならないようだ。
渡辺みどり(皇室ジャーナリスト)は、『美智子皇后の「いのちの旅」』(文藝春秋)のなかで、聖書事件そのものは認めているが、土下座謝罪については「そんな事実はない」と述べている。元宮内庁職員の浜尾実も、土下座謝罪については「神話」と一蹴している(『皇后 美智子さま』小学館)。
叱正はあったのか?
また、「昭和天皇からの叱正はなかった」という立場もある。たとえば、歴史教科書をつくる会(通称、つくる会)の副会長を務めていた工藤美代子だ。工藤は、美智子さまを最大限擁護し、この聖書事件を「極めて非礼な流言飛語」と断じている。その工藤が根拠とするのは、事件の18年後に鈴木菊男東宮大夫が寄せた次の一文だ。
それにつけても、もう十数年も前のことになろうか。『陛下が妃殿下のことで激怒なさり、即刻呼びつけてお叱り云々』の噂が流され、その後何年にもわたりいくつかの紙面に取り上げられたことに関し一言したい。事実のないこの記事は、他の事とは違い、陛下の御名を引き合いに出してあったため、妃殿下には十余年もの間随分お悲しい思いをなさらねばならなかった。
私の退任後、またしてもその記事の引用(注:『昭和日本史』別巻「皇室の半世紀」)が行われたが、それがこの度は陛下のお目にとまったのであろう。後日、侍従職を通じ、『このようなことは、事実がないばかりでなく、心に思ったことさえなかった』と深いおいたわりに満ちたお言伝てが東宮職に届けられたと聞く。このようなことも含め、お心を痛められることも多かったであろう(後略)
『皇太子殿下皇太子妃殿下御結婚二十年』中日新聞、1979
この鈴木菊男東宮大夫の寄稿文が、宮内庁の「公式見解」として受け継がれる。平成になり公開・刊行された宮内庁編『昭和天皇実録』にも、先の寄稿文をそのまま踏襲した記述が確認される。
(昭和53年)三月十一日 この日、侍従長入江相政は東宮大夫安嶋弥と面談し、皇太子妃の「クリスチャン問題」について話をする。このことについては、昭和三十年代後半頃、正仁親王がキリスト教に興味を持ったのは皇太子妃の影響であると聞かれた天皇が同妃に対し皇室においてキリスト教の話はしないようにと叱責された、と言う噂が立てられ、以後雑誌で何度も取り上げられた。
さらに五十二年十二月、皇室関係の図書(『昭和日本史別巻皇室の半世紀』昭和五十二年十二月刊行)の中で同様の内容が掲載されたため、これを御覧になった天皇は、その後わざわざ侍従を通じて『このようなことは、事実がないばかりでなく、心に思ったことさえなかった』とのお言葉を伝えるよう命じられ、この深いおいたわりに満ちたお言伝てが東宮職に届けられた。また宮内庁から出版元への申し入れにより、同書の改訂版において当該記事が削除される。
『昭和天皇実録』第16巻、東京書籍、2018
ただし工藤も、鈴木寄稿文も、実録も「聖書問題について激怒したことを昭和天皇は否定された」と主張しているものの、いずれも「聖書事件がなかった」とまでは言っていない。この点は重要である。
「聖書事件」の真相は何か?
鈴木菊男東宮大夫の寄稿文は、昭和天皇の在世時に発表されていることから「昭和天皇が激怒した」ということは事実ではないのだろう。そして「美智子さまが土下座謝罪した」ということもないと考えるのが自然だ。
また、1961(昭和36)年に橋本明氏に聖書事件を語った村井長正侍従も、1965(昭和40)年の退職時に次のように表現を改めている。
「昭和天皇だが、それほどお怒りになったのではない。自分もお叱りをこうむってはいない。宇佐美長官からは『あんまり、やるな』とたしなめられたが。三谷侍従長は怒らなかった。但し三谷さんは『こじれたら私は辞める』と言われた。侍従長が辞めるなら自分も辞職する気持ちになった。辞めようと決意したのは美智子妃に災難がふりかかるのを防げなかったからだ」(橋本明『美智子さまの恋文』新潮社、2007)
だが聖書事件そのものは否定されていない。すなわち「聖書事件」の真偽問題が散々騒がれながらも、肝心の「義宮と共に美智子さまが聖書に親しまれていた」という点は誰も否定しないのである。よって「聖書事件」はあったとしか言いようがない。それを昭和天皇が軽く苦言を呈したというのが真相に最も近いのではないか。
この問題について元宮内庁職員の小内誠一さんは「美智子さまは会合などで賛美歌を歌われています。クリスチャンの信仰を捨てきれていないのは明白でしょう」と語る。もちろん現代は宗教対立の時代ではなく、宗教融和の時代だ。秋篠宮家の眞子さまと佳子さまもICU(国際基督教大学)に通われ、皇室にキリスト教は思いのほか融和し浸透している。
昭和天皇の宗教融和に対する寛大さは、今の皇室にしっかりと息づいている。
いじわるばあさんはクリスチャンではない。地下の礼拝堂で祈っていたのは悪魔教だろう。華子様はババア二虐められなくてよかった。香淳皇后に守られていたからか?
魔人正田ヤンキー美智子
そうですか、秋篠闇家を英国王即位式に参列させるよう、強いお気持ち砲を発射したのですか。
平成時代に皇太子家を迫害していた邪悪な者どもが一日も早く排除されますように、天照大神にお祈りいたします。
クリスチャンが皇后陛下を病気になるまで苛めた。
キリスト教の教えがそうなの?
しかもその皿の言うことを鵜呑みにしてJKが国民の前でも非難し、マスコミを使ってバッシング。
皿は皇室に悪を持ち込んだ。
マフィア映画を見れば分かりますよ。
映画では、マフィアは大抵イタリア系の敬虔なクリスチャンなので、日曜日ごとに教会に通い、時おり告解をします。
告解さえすれば殺人もチャラになると考えているのか、そういう場面をよく見ます。
正しいキリスト教を学んでいない証拠です。
教えを都合よく転換しているのです。
皇族なのに神道についてほぼ無知な常盤宮様と同じです。
キリスト教がどういう背景から生まれて来たのか、神道とはどういうものなのか、皇族ならきちんと知っておくべきでした。
なるほどね~。
常陸宮さまは昭和天皇にこっぴどくしかられた。
ミテコは土下座はしなかったけど、昭和天皇に諌められた。
それをずっと根に持ってたミテコは、昭和天皇が愛した森をぶっ壊して地下室に例の部屋を造った?
いまの見て子の性悪ぶりをみれば、昭和天皇の激怒された理由も
またわかろうというものです。
見て子が、英女王国葬参列を責め、雅子さまに土下座強要したのも
かつて自分が土下座したトラウマの裏返しだと読めます。
愛子さまに、お誕生日なのに三時間以上もネチネチ小言を言った件
も、聖書事件で「自分は悪くなかった」との恨みが原因でしょう。
カトリック信仰を禁じられたので、今度は文鮮明への傾斜です。
リトルエンジェルスを熱烈歓迎した見て子。
統一教会からはずっと自分の映った写真使用料を貰っていたとの
皇室新聞記事が衝撃を与えました。
皇室からすれば、カトリックであれ、プロテスタントであれ、
統一教会であれ、異教は異教であり、皇族が信仰してはいけないと
されるのは、神道の”家元”としては当然の掟です。
それが不満なら、臣籍降下すれば済むこと。見て子なら離婚です。
統一教会も、ICUプロテスタントも、神道の牙城を崩すため
ならばあらゆる便宜を図ってくれます。
気持ち悪いまでの秋家あげ、ネットでの両陛下や愛子さま攻撃、
裏口入学同然のICU、成績不良でも卒業させてくれる配慮等。
令和皇室をずっと苦しめるこれらの異教邪教勢力からの甘い蜜と
これに無節操に群がり、タカる、見て子と赤坂第二夫人。
もちろん、カトリックやプロテスタントを邪教認定したくはありま
せんが、一神教系の宗教はどこも神道とは相容れず、統一教会は
エイズウイルスのように変幻自在なのでいずれも神道の敵です。
赤坂第二夫人が駅南という忌み地出生でありながらも大きな顔を
していられるのは、見て子聖書事件で受けた叱責を今も逆恨みした
まま、なお、禁教への憧憬を捨てきれない「平民見て子」の姿が
自分未満の出自をもつ駅南卑とその子らへの特別待遇に投影されて
いるとみるべきです。
イエス・キリストの教えはこの世の神様=悪魔とは敵対するものだから、自分の力で実行するのは難しい。
人の上に立とうと思う者は全ての人に仕えなさい。互いに相手を自分より高いものと思って仕え合いなさい。
キリストは十字架上で最後に
「父よ、私の霊を御手に委ねます」と言って亡くなった。そして死者の中から復活して天に昇った。
昭和天皇は美智子に聖書の教えは難しいと思われたのかもしれない。出来ないことを成し遂げようと頑張ったミチコは嫁いびりを生きがいとする演技道楽着道楽のわがままモンスターに成り果てた。
眞子はキリストのお導きで反社の甥っ子を生涯の伴侶に選びました。
なのに、夫の信仰する大山ねずの会に入信。
すでに紀子名義のカードから、入信の証として数千万の壺購入済。
ICUの当初の狙いからも外れて、いまではカルト教団の広告塔です。
とんでもないイジワル婆さんだよ。
チャブに少しでも教養があったらこんなのに引っ掛からなかったのに。
耳元でつぶやかれても、状況からの判断が出来ただろうに。
興味深く読ませていただきました。
折しも数日前、YouTube「皇室秘話 170」で、美智子さん入内の経緯やキリスト教との関連について語られています。
「皇室秘話」は、美智子さんと同世代の「ばぁば」が、美智子紀子さんの横暴に堪えきれず、1年ほど前にYouTubeを立ち上げたものです。
どれも5分ほど、簡潔で写真や資料も多く取り入れています。
是非とも 視聴してください。
アーヤとキーコが英国王の戴冠式に出席などと言うフェイクニュースを流して既成事実化を狙っていますね。
この夫婦を派遣するなんて国の恥、国辱です。絶対にやめていただきたい。
本当に恥ずかしい。英国はこの夫婦に招待状を送らないでいただきたい。
正田川島一味の辞書に恥という言葉はありません
英国、スペイン、オランダ、ベルギー、ブータンから出禁です。
ペルソナ・ノン・グラータ認定の秋家を戴冠式に??
そんな甘い世界ではありませんよ。
駅南第二夫人らは招待状もないのに押しかける気ですか?
悠仁がベルギーとブータンの二王女に対して働いた痴漢行為は
到底許されるものではありません。
この皿くそ婆が逝ってしまえば、我々一般庶民の生活に活気が出てくるのではないでしょうか!!!!!
平成四人組が存在することが!、若者のモラル低下を招いていると思う!!!!
菊紋に何度も投稿したが、反映されない。更新後、初投稿なのに((涙))
一度はYahoo画面から消えたこの「女性自身」のNews。
菊紋が掲載した続きの大事な部分
↓ ↓ ↓
┅┅静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんも、海外メディアの反応をこう懸念している。
「眞子さんの結婚を巡る問題は、海外メディアでも報じられていました。
しかも、英国ではチャールズ3世の次男・ヘンリー王子の自叙伝『スペア』による暴露が大変な物議を醸しているため、再び秋篠宮家の周囲で起きた騒動をスキャンダラスに取り上げられることは十分に考えられます」┅┅
何故 ここを掲載しないのか??小田部教授は、秋篠夫妻は相応しくないと述べているのでは!⁉️
┅┅┅気になったヤフコメ┅┅┅
◉皇嗣は法定相続人じゃないんですけどね。
皇室典範には、弟宮家に皇統が移るのは直系長子の子孫が絶えた後とあるし、仮に敬宮様が男系の血を受け継ぐ男性とご結婚され、男児を儲けられたら、あの人たちの継承順位は下がることとなります。
そんな不安定な立場でありながら、長年王太子として女王を支えてきたチャールズ王太子(当時)に敬意を表さず、ガンガン行くってどういうことなんだろう…って、思ったんですよ。
フェリペ国王には注意されるほどでしたから、よっぽどだったのでしょう。
ちなみに 皇后陛下はカーテシーでご挨拶される皇太子格の方々に「そんな必要ないわ、私たちの仲じゃないですか」という身振りをされてました。
民間から皇室に入った立場であれば 皇后陛下のように考え、行動されたり言葉にされるのが普通の感覚ではないですか?
◉次々と違法行為疑惑暴露される秋篠宮家と小室家。こんな宮家に来てほしい国ないでしょう。
それとも愛子様を行かせないよう裏工作するつもりでしょうか?
宮内庁、いつまでこんな宮家の言いなりに動いている?
男系の愛子天皇認める日本国民世論8割の民意を無視してまで こんな宮家への継承に固執続ける自民党政府と同様、宮内庁も何か変です。
選挙行きましょう!
そーだよなあ、ICUという大学は、国際キリスト教大学だよな。International Christian University っていうんですか、本名は。まさか、international Crazy Universityじゃないでしょうな。
そこに、皇室から馬と鹿が出向いて、キリスト教に反する汚れた青春を送って、今みたいな状態になってしまったんだよな。学習院でも獣並みの性生活を送っていたバカップルもいたけどな。
アッ、以来ア宮家は金持ちではあるが、没落の一途を辿っておるな。
してみると、キリスト教が世を救う? 馬鹿な。とはいえ、確かにア宮家の有り得ないような醜聞を世間様に曝すのに、一役買っているよな。イエス。
神道、がんばれ、ってか。
皇室は日本神道の祭祀者・宗教者です。皇族に於いてキリスト教に過度に近づいたり、信仰することは以ての他であり絶対にあってはならないことです。
しかし上皇后のキリスト教信仰を知りながら容認した上皇。
そして皇族の子息が ICU に入学することを認めた平成の天皇や今上陛下、その責任は皇族のトップとしての非常に大きい。
責任はA宮家だという人がいるが、勿論A宮にも親としての責任はある。しかし「家制度」の伝統を残す皇族に於いて、一族内の不祥事は取りも直さず一族トップの責任である。この事に殆どの国民は目をつむり、二代の天皇の腐敗の責任を指摘しようとしない。
そもそもは上皇陛下のあまりにダラシないキリスト教へ対応が、今のA宮家の腐敗の根底に有ったと言えましょう。問題を知りながら自浄作用を発揮することもない今上陛下、我関せずの「知らんぷり対応」は事の重大さに鑑みて天皇失格と云えましょう。
平成以来腐り始めた天皇家、そして令和の今上陛下も既に腐ったミカンです。
昭和天皇が皿サマの隠れキリシタンを激怒されたのは、神道の祭祀者として最高位の家に嫁ぐ意味も理解せず、「アテクシ、クリスチャンなんかじゃございませんわ」と大噓ついて入内した卑しさに堪忍袋の緒が切れたのだと思います。
必要とされる資格も持たないのに、履歴書に噓八百を並べてチャッカリ就職を勝ち取ったようなものですよね。
宮内庁のお妃候補リストにも載っていなかったのを無理やり押し入って来ておいて、実は異教徒でした~…だなんて、実家に帰されなかったのが不思議なくらいです。