美智子さま“初夜”の「恋愛技巧」を描いた小説が「発禁」に 問題個所を全文掲載


不敬罪は今も続く

寒空が続くなかにも、徐々に春の足音が聞こえつつある。幸いなことに新型コロナも収束傾向にあるという。しかし秋篠宮家の不敬は留まるところを知らない。新聞やメディアまでもが天皇家を蔑ろにして、隙あらばバッシングする。

今はないが戦前には「不敬罪」という罪があった。天皇皇后両陛下のみならず、神社や天皇陵に対する侮蔑的行為も不敬罪が適用された。一般的な名誉棄損は親告罪だが、不敬行為は非親告罪とされ、当事者の申告がなくても警察が取り締まることができた。

そして不敬罪の適用範囲も広い。日記に書いた内容にも不敬罪が適用された例がある。いくら個人的な日誌とはいえ、第三者が読む可能性がある以上、不敬の表示行為に他ならないというのである(大審院、明治44年3月3日、録258頁)。

ゆえに愛知県の現代アート祭典「あいちトリエンナーレ2019」で昭和天皇の御真影(写真)が燃やされたことが騒動(正確には燃やされた動画)になったが、もし戦前ならば逮捕されていただろう。幸い(?)にも戦後になり不敬罪がなくなり表現の自由が認められているため「犯罪」として本件が裁かれることはなかった。

だが、保守派などが「不敬すぎる!」と実力行使を伴う猛抗議を展開。結果、「あいちトリエンナーレ2019」は開催中止となった。

皇室タブー

このように不敬罪はなくなったが、それは形を変えて「皇室タブー」として今も残っている。

美智子さまは59歳の誕生日を迎えた1993年10月10日、突然倒れた。その後、しばらくは言葉が発せないという症状に陥るのだが、その誕生日の前日、皇后は一連の皇室批判報道に対し「批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません」と文言で反論していた。



美智子さまが倒れる原因となった一連の皇室批判報道とは、かの『宝島30』や『週刊文春』による美智子さま「女帝批判」のことだ。

この美智子さまの「失声症」を境にメディアは一転、「美智子さまかわいそう」の論調が週刊誌を中心に広まった。皇室評論家の渡辺みどり文化女子大教授も「美智子皇后は、いわれない批判に、これまでグーッと胸の内に押し込めていたことを述べられた」「その直後に倒れられたわけで、まさに身を挺した『反論』だったと思う」(週刊朝日、1993年11月5日号)と述べている。

この「美智子さまの反論」に『週刊文春』も降参し、1993年11月11日号に謝罪文が掲載された。しかしこれだけでは騒動は収まらず、宝島社と文藝春秋の社長宅に銃弾が撃ち込まれるという事件にまで発展した。

(美智子さまのお見合い写真)

小山いと子『美智子さま』の「初夜」発禁騒動

この1993年に起きた「美智子さまバッシング」はあまりに有名であるためご存じの方も多いだろう。当時は「美智子さまかわいそう」だった世論も、21世紀に入りまたもや流れが変わった。

侍従たちの日記などが刊行され始め、かつて根も葉もないうわさと思われていた「美智子さまバッシング」が、実は本当のことだったと明らかになり始めたからだ。一例をあげれば、昭和天皇に長く仕えた小林忍侍従は、美智子さまの女帝ぶりや高額な衣装代を懸念している(小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019)。これからも「美智子さまの本当の姿」が徐々に明らかになっていくだろう。

そこで今回は、美智子さまによる最初の「言論封鎖」ともいえるべき事件を紹介したい。作家・小山いと子(1901-1989)が雑誌『平凡』に連載していたノンフィクション小説「美智子さま」が、宮内庁(つまりは美智子さま)の逆鱗に触れ、連載中止に追い込まれた事件だ。

宮内庁が月刊誌『平凡』の発行元・平凡出版株式会社(現、マガジンハウス)に抗議をしたのは昭和38年(1963)3月のこと、一体このノンフィクション小説「美智子さま」のどこに美智子さまが激高されたのか?

当時の宮内庁は次の三点を問題点として挙げた。

  1. 興味本位の実名小説で、プライバシーを考慮していないこと。
  2. 事実と小説の間があいまいであること。
  3. 事実に相違することも部分的にあること。

宮内庁の抗議に対し、小山いと子は次のように反論した。



戦争中雲の上に皇室を押しあげて国民には知らせず、また戦争直後は皇室の暴露的な記事ばかり出た。そういう傾向を好ましくないと思い、皇室と国民とを親密にすべきだとの立場から、もっとほんとうのことを知らせるべきだと思いました。好ましくない個所があるなら、指摘して下さればお答えもしますが、私は筆をまげて書いたつもりは全くありません。

朝日新聞(1963年3月12日)

小山いと子『美智子さま』問題個所「全文」

「実名小説でプライバシーに踏み込んでおり、さらに事実とも相違している」という宮内庁のクレームに対し、「具体的にどこが問題なのでしょうか?」と切り返した小山いと子さん。小山さんは小説に絶対の自信があった。なぜなら小山さんは旧宮家の東久邇家や、現役の女官などに太いパイプを持っており、彼らから得た情報をもとに小説を書いていたからだ。だが宮内庁は、具体的な問題部分を指摘しなかった。

さるベテラン皇室ジャーナリストは当時を次のように思い返す。

「美智子さまが小説『美智子さま』を読んで驚愕されたのは昭和37年11月号に掲載された“初夜”の回です。すぐに反論すると『それが原因だ!』とわかってしまうため、あえて少し遅らせて抗議したそうです」(ベテラン皇室ジャーナリスト)

具体的に記述を見てみよう。初夜を前に美智子さまが、自分が「美しく見えているかどうか」を女官に確認する下り。

「私、疲れたように見える?」

愛する人に、初めての夜、少しでもそんな顔を印象付けたくはなかった。

「まあ妃殿下とんでもないことでございます。たいへんにおきれいでいらっしゃいますわ」

小山いと子「美智子さま」『平凡』1962年11月号

美智子さまの美意識の高さが伝わってくる。おもえば美智子さまのファッションは常に最先端で洗練されていた。初夜を望むにあたって、それを気にされていたことは確実であろう。

恋愛技巧?

続いて二人のもどかしい壁を隔てた交際から、初夜に臨むまでの悦びを次のように饒舌に表現する箇所。

自分の愛情だけを頼りに、隔絶された厚い壁の中に勇敢に飛びこんで来た美智子が、この瞬間、皇太子にはいきなり両の腕に包み込んで抱きしめてやりたいほどいとおしく思われた。

がそれをなさらなかったのは、克己、抑制に馴らされた日常と、逆に恋愛技巧に慣れていらっしゃらなかったからである。恋愛技巧という点からいえば美智子さまと同様であった。

小山いと子「美智子さま」『平凡』1962年11月号

「恋愛技巧」とは聞きなれない単語だ。いわゆる「手練手管」のことであろうか? お二人が本当に「初心者」であったのかは闇の中であるが、初心であったことを強調する記述は違う個所にも散見される。

まことに、このときまでは肉体的には髪の毛一筋さえも触れずにいた二人であった。皇太子の学友たちの心づかいで、衆人環視の中の二人きりという奇妙な状況の下で話し合ったときも、愛の恋のという言葉は一言もどちらからも出なかった。それでいて互いの気持ちは通じていたのである。

小山いと子「美智子さま」『平凡』1962年11月号

ところで、美智子さまは「事実と違う!」と仰っていたことを踏まえるならば、美智子さまは「恋愛技巧」「手練手管」に長けていたということだろうか?

唇に優しく触れらた…

最後に最高潮のシーン。



このようなお二人にとって、いわゆる恋愛技巧などは無用であった。講義を受けた生理衛生の知識なども不要といってよかった。苦難の道を経て来たゆえに、今二人きりでいられるということだけで満ち足りた幸福をお感じになっていた。

皇太子は美智子さまの手や髪や額や、美智子さまの心ひそかに案じた唇にやさしく触れられた…。より以上に優しい愛情の言葉とともに。

小山いと子「美智子さま」『平凡』1962年11月号

「恋愛技巧」に加え「生理衛生」の意味も難解である。本能の赴くままに初夜を迎えられたということだろうか?

いずれにせよ小山いと子『美智子さま』は、天皇家に対する尊崇の念が溢れている。本当に連載を中断させ、発禁にする必要があったのだろうか?

これを読んで激高された美智子さまの胸中には「事実と違う!」という思いがあったのか、それとも「事実の通りで恥ずかしい!」との思いがあったのか。

37 COMMENTS

匿名

初夜???
一体、何県に住む、どこの「美智子さん」のことでしょうか。

赤坂御用地内の出来事でしたらば、「手練手管」が最も相応しい表現でしょうね。
むしろ作品では、清純派純情可憐型に仕立て上げられすぎて、腹抱えて笑ってしまいました。これでは虚構世界ですよ。

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静岡バラック出身のキコへ

馬鹿馬鹿しい内容!
時間の無駄でした・・・
まあ鬼ババア美智子と川嶋キコの低能達にはピッタリの低俗内容ですね。

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匿名

この人は、皇室を破壊しキリスト教にでもし
安西,正田で皇室乗っ取りを企んだ極悪人にしか見えません❗
この失われた30年は、取り返しがつきません❗❗

22
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匿名

もう、この女(上皇后)の写真は目にしたくない。
偽物を皇族として、57年も国民をだまし、仮面を被り、「慈愛の人」を演じてきた。
自身は贅沢三昧、したい放題の我儘、、
早く逝ってくれ!

77
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匿名

ハッキリ言って、あんたの初夜など
どうでもヨロシイ❗  安西孝之さんは何人目?
妹に御下がり押し付け、可哀想なお妹さんです。

31
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匿名

撮影させて料理をするふり
編み物はふりどころか編棒の持ち方すら知らない酷さであった。底意地悪く無能なひとを
印象操作しても虐めと秋家擁護でも悪の根源で極悪人で終わったひとだ。バラックなどいれるからカスの家族で皆精神異常に低能しか繁殖しない。皆引き連れて身の丈にあった所へ行くのが最後の仕事だ。

106
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匿名

ミシン睨みつけて石になってる写真もあるよね。他の方は皆割烹着きてせっせと縫ってるのに、自分だけエプロン。

74
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匿名

複雑性PTSDになりそう。
ミテさん、変な話を聞かせて国民を性虐待しないでください。

60
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匿名

見て観て視て診てみてのミテコさん
アナタが三文皇太子妃であったことを、今更ながら再確認した。
衣装倉庫を一般公開して下さい! 美術館博物館より人がアナタの
贅沢三昧の検証に足を運ぶことでしょう❗ 但し、入館料は国民に
反対にプレゼント下さいますよう❗ アナタ様の溜め込んだ200億円の
中から。 使い道が眞子さんでは、アナタは本当に地獄行きです。

74
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匿名

今から数十年前、昭和の時代の話です。
今は亡き私の母が、いつになく真剣な顔で言いました。
「美智子様、若い頃はきれいだったのに顔が変わってしまったのは、梅毒だったからだよ。」
びっくりした私は、「じゃあ、皇太子(今の上皇)も梅毒なの?」と聞くと、「いや、それは…」と口ごもってしまいました。
当時私はまだ子供だったので、これ以上大人の世界に踏み込むのはなんとなくはばかられ、それ以上聞けませんでしたが…
で、今思うのは、美智子様の胞状奇胎のあとの療養。実は梅毒の治療をしてたのでは?世間にはそんなこと公表できないから、かわいそうなアテクシを演出して…
だけど肉体の欲望は抑えきれず、安○氏と関係し、まさかの妊娠!そして生まれたのが秋…
が、先天的梅毒のため池沼だったと。
安○氏に似ればもう少し頭の良い子が生まれそうだけど、そういう事情があったのでは。
以上は私の推測ですが、以前のコメで今上とサーヤは別の女性が産んだ、というのを見て、確かに梅毒であれば出産を禁止されたのかも、と思ってしまいます。
母にはもう確かめようがないので、もし身近にお年寄りがいらっしゃるなら、どなたか聞いてみて頂けませんか?

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匿名

あれだけ奔放な試しのリを自らアプローチしていったいどれほどの
ヤンキー含め多くの輩相手に愛欲にのめり込んでいたのか!?
梅毒,淋病等,性感染が発症して当然!!
以前から疑問に思っていました、眞子,小室,紀子、秋篠も幾度か
発症していたのではないのか!!!!!!

37
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匿名

その時の顔の変わりように、
私の祖母は、あのミチコさん観てごらん! あの顔のどこが美しいの!?と、
幼い私に言ってましたわ! 気持ち悪い顔になっていた時期が確かにあった。
あれが、性病にかかった状態だったのか⁉

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匿名

祖母から父へ「ズル」が受け継がれ、「ズル」の臭いにノーパソが寄ってきて、さらに増幅された「ズル」に子供たちが染まり、そこに有象無象の「ズル」人脈が湧く、、、

それで、この始末でございます。

60
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匿名

せっかく昨日、もっちゃんの大スクープがあったのに、直後に
こんな与太記事で話を腰を折るのは感心しません。
また例の如く、タケロウの登板とかいうわけですね。

それより、貴誌は当分この英国王からの招待状親書破り捨て事件に
集中して報じてください。
これは紀子の犯罪行為でもあり、国際儀礼としても、ありえない
国家的無礼に該当します。
以前、日本の総理から、韓国大統領宛の親書を返送してきた事件が
あったことをご記憶でしょうか?

日経記事から
>韓国、野田首相親書を書留で郵送 返却拒否受け
2012年8月23日 20:27

【ソウル=尾島島雄】韓国政府は23日、島根県・竹島(韓国名・独島)の領有権問題を巡り、野田佳彦首相が李明博(イ・ミョンバク)大統領あてに送った親書を日本政府に返送した。外務省は韓国側が届けようとした親書の受け取りを拒否。このため韓国側は同日、書留郵便で送った。外務省は受け取るかどうか判断を迫られる。日韓の対立は双方が外交上、異例の措置を取る展開となり激しさを増してきた。以下略<

このときも韓国側は破り捨てまではしていません。
つまり紀子がやったことは、いかにも半島式であるとともに、彼らよりさらに低レベルの破り捨て行為にでたわけです。

紀子は、王室の紋章が入った親書である招待状を
①受取る資格がない部外者なのに、勝手に見せろと要求の上
②外務省用の公用文書として、保管中のものを、突然破り捨て、
③公用文書毀棄罪並びに器物損壊罪を犯したというわけです。

これは英国王からみれば、まるで植民地の独立運動家が、英国王室の紋章を焼き払ったり、足で踏んづけてみせるのと同じ、究極の不敬、無礼になります。
誰よりも、死ぬほど戴冠式に招待されたいはずなのに、相手国元首を朝鮮人以下の方法で侮辱までした紀子。
この代償は、秋篠宮家改易という形で償うしかなくなるでしょう。

47
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匿名

でもキコのしていることは片っ端から馬脚を現してばかり
うまく世渡りなどしていません
宮内庁と部落解放同盟が必死で尻ぬぐいする毎日ですよ

39
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匿名

紀子がどんなに両陛下を戴冠式に招待するとの決定事項に
異議を唱えようとしてみても、英国王に直訴するのですか?

出禁(ペルソナノングラータ)になっている紀子本人が渡英し
英国王室の門を叩き、通訳なしで国王に謁見を求めて招待決定を
覆せるのですか?

どれもこれも、ただ駄々っ子のように、往来に寝転がり
「ママやーだ、どうしてもやーだ」と絶叫すれば誰かが助けて
くれるという、甘えがあるだけでしょう

それもペルソナノングラータ決定の前には効力などありません
もう偽皇族稼業の続行は無理ということですよ

41
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橫…では無いような気がする

集英社オンラインより配信のヤフーニュース
◤【暴力団2世】「家に覚せい剤があるのが普通」「暴力の連鎖」「家出しても不幸」9割が生活困窮を余儀なくされているヤクザ・チルドレンたちの実態◢

┅最高幹部たちは高級スーツに身を包み、外車を乗り回し、多数の配下を侍らしている。
彼らの生き方は、末端の組員から吸い上げた金を惜しげもなく使い、自らの力を必要以上に誇示すること。
それに惑わされ、ひきつけられる若者もいる。

父親は、篤史が小学6年生の時まで長い懲役に行っていた。
篤史は母親から「お父さんは病院で入院している」と説明され、何も知らないままスポーツに明け暮れる日々を送っていたそうだ。

そんなある日、突然父親が刑務所から出所してきた。盛大な放免祝いが行われた後、一家は新築の巨大な屋敷に住むことになった。

広い庭にはドーベルマンが放し飼いにされており、すぐ目の前には組事務所が建てられた。
家の中には部屋住みと呼ばれる身の回りの手伝いをする子分たちが24時間張り付いた。
構成員たちにとって、篤史は親分の大切な子息だった。彼らは一様に篤史の機嫌を取ろうとして近づいてきたし、中には本物の拳銃を撃たせてくれる者もいた。篤史をかわいがれば、親分が喜ぶと思っていたのだろう。

中学に上がると、篤史は大幹部の息子という自分の立場に気がついた。
先輩の不良たちが親しげに近づいてきて、あれこれと世話を焼いてくれる。
彼らもまた、大幹部である父親を恐れていたのだ。┅

いろんな例が挙げられた記事。
この中に「秋篠宮文仁」「眞子佳子」「悠仁」が居ないのか不思議なほどだった…。
川島家 角田家…言わずとも……

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