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側室制度の廃止
かつての皇室には側室の制度があり、皇后が男子を産まなくても側室が男子を産みさえすれば皇統が保たれる状況でした。
これを理由に「皇統が男系で続いたのは側室制度があったからだ」とよく主張されます。 例えば神道学者の高森明勅氏は皇室の側室制度が廃された経緯や現在の社会通念から、側室を認めて男系を維持するなど考えられないと述べています。
明治の皇室典範では「庶出(非嫡出)子孫にも皇位継承資格を認めていた。 しかし、昭和天皇はそれを事実上、無効にする女官制度の改革を断行された。側室制度を廃止されたのだ。(中略) 側室制度を復活させたり、皇室典範を改正して非嫡出子孫にも皇位の継承資格を認めたりする事は、およそ想像し難い。
ゴー宣道場、高森明勅ブログ「 昭和天皇の「女官制度」改革 」2018年9月10日
生れた子供の9人中8人は死ぬ…
確かに、明治天皇のお子様は15人中10人が夭折か死産していますので、過去の皇室において男系継承を実施するために側室は必要でした。
しかし、実は1888年を境に明治天皇の皇子女の夭折・死産率が激減しているのも事実です。
1887年以前は、なんと9人中8人が死産・夭折し、たった1人(1879年生の大正天皇)しか成人しなかったのに対し、1888年以降に生まれた皇子女は6人中4人が成人しています。
この違いはなぜでしょうか?
調べてみると、側室制度と明治の宮中の驚くべき実態が分かりましたので紹介します。
女の嫉妬は世界一醜い
大正・昭和に活躍した評論家山川菊枝は内廷に仕える命婦から伝聞した話をこのように述べます。
皇后が病身で子がないことから、誰が皇子を産むかが問題で、女官に子供が出来ても無事に産めないように、朋輩があらゆる妨害を加えることは、『源氏物語』の時代そっくりらしく明治天皇に幾人皇子があってもただ一人のほか育たず、その一人も病弱だったのは不思議ではないという
山川菊枝『女二代の記』日本評論新社 、1956年
子供を無事に産めないように…とは恐ろしい…怨念を感じます。
また、鍋島侯爵家出身で皇室に嫁いだ梨本宮伊都子はこう回想します。
明治の御代は、お子様がお腹にいらっしゃる時でも、お生母さんはお勤めをしなければならなかったのです。妊婦ともなれば、節制ある生活をしなければならないのに、お勤めがおありになるから、ご自分の身体のことばかりかまっていられません。そこで体の養生が悪いのです。生まれたお子様も発育が悪く、その上に健康管理も行き届いていなかったのでしょう
梨本伊都子『三大の天皇と私』講談社、1975年
妊娠中も公務をしなければバッシングされる現代の皇室にも何となく似ていますね。
子供の養育法も大問題、お雇い外国人医師ベルツも涙目…
妊娠中もこんな状態でしたが、明治時代は産んだ後の養育法も大問題でした。
明治時代のお雇い外国人で日本医学の発展に貢献したドイツの医学者エルヴィン・ベルツは、皇室ではありませんが、仙台藩主伊達家の病児を診察したときの様子を日記に書いています。
この児は至極虚弱に発育し、きゃしゃで、りこうだが、癇が強く、これは極度に愚劣な甘やかしによるところが多い。十数人という男女の召使が、子供をなでたり、さすったりするよりほかは何もせず、(中略)子供にとって危険至極というほかはないような騒ぎを演じている。これが、従来すべての大名の子供の教育であった。
ベルツ・トク編『ベルツの日記(上)』岩波書店、1951年
子供が病気でもなでたり、さすったりするほかは何もしなかったようです…
子供に水銀・鉛を「飲ませて」いた明治時代の皇室
極めつけは、これです…
明治時代までの宮中や旧公家・大名の家では女性は白粉(おしろい)を化粧に使っていましたが、この白粉の原料が水銀や鉛だったのです。特に高級な京白粉(主成分:鉛)や伊勢白粉(主成分:水銀)が宮中では用いられました…水銀は水俣病の原因ですので、子供に毒を盛っていたのと同じです…
禁裡院中の女性がもっぱらこれ(白粉)を用いたから、皇子女の脳膜炎様病症は、白粉から母親の体内に入った鉛毒・水銀毒が母体の胎盤をとおして胎児に吸収され、あるいは授乳者の乳を飲み乳首周辺の肌に触れることで鉛毒が乳児の体内に吸収されて起こったと推定される。
森岡清美『家族社会の家戦略』吉川弘文館、2002年
妊婦さんが水銀含有率の高いマグロを食べてはいけないのは皆知っていると思いますが、明治時代の皇室はむしろ水銀を体に塗りたくって、子供に「飲ませて」いたようです…
明治宮廷に奉仕したドイツ貴族モールはこう記します。
昭宮猷仁親王(大正天皇)が歯と関連のある脳の病気、脳膜炎にかかられた。皇太子明宮を除き、天皇のすべての皇子がこの病気で亡くなられている。この病気は日本の高位の貴族の家系に秘められた悲惨な伝統である。
実にこの病気は日本の平民の間ではなく、とくに五摂家や大名家に多く発生している。
オットマール・フォン・モール『ドイツ貴族の明治宮廷記』金森誠也訳、講談社、1988年
ドイツ人の目に、明治の宮廷が奇怪な病気に冒されていたように見えたのも無理はありません。白粉が鉛毒をもたらし、脳膜炎を発生するということが初めて学術発表されたのは1924年(大正末)のことでした。
こんな状況でしたので、明治天皇の夭折した子女はみな脳膜炎であり、唯一男性で成人した大正天皇自身も誕生後すぐに脳膜炎にかかり、結果病弱な体となってしまいました…
1888年にやっと改善される
この様な状況の中、1888年になってようやく皇室の養育法の改善について、陸軍軍医総監橋本綱常や天皇の侍医から「宮中の外で養育すべし」との意見書(『養育要綱五条』)が出されます。
当時の侍従の藤波言忠も「従来の御養育の法、徒に尊重に過ぎて自然に反すること多きを指摘し、速やかに委員を設けて改善の法を講じ、深宮に於て女官に一任するの因習を一洗せられんこと」を奉請して、天皇の子供を、白粉などの宮廷習慣のない下級武士出身の武家華族夫婦に養育させるようになりました。
それ以降、1888年に生まれた昌子内親王の養育が佐々木伯爵家に託され、以後踏襲されます。昭和天皇も川村純義伯爵家(薩摩藩士)で育ったのは有名です。
養育方法の改善がなされた結果、1888年以降に生まれた明治天皇の子供は6人中4人が無事に成人されました。
側室が必要だったのは、子供に水銀を「飲ませて」いたから
お分かりですね?
側室がいてもなお、側室同士で足の引っ張り合いをし、水銀や鉛を「飲ませて」いたのがかつての前近代の宮中の実態でした。
側室が必要だったのは産婦人科医療の遅れだけではなく、水銀や鉛の入った白粉の多用や女の嫉妬もその理由だったのです。
…てか、明治の皇室が白粉さえ使ってなかったらさ、大正天皇の兄弟が何人もいただろうし、大正天皇の弟宮家の子孫が今の時代にも5、6人くらいちゃんといたんじゃね!!!?
周囲が殿下殿下殿下と奉っていただけなのでカピバラ文仁になりました。
どのような遺伝子と育ち方をすれば正田ヤンキー美智子、川島ノーパン紀子になるのか、そちらも気になる。
平民がクズすぎました
偽なのに、これまでいかほどの税金がこのものに使われたのか。その額は計り知れない。
鯰押しの方々は、このお金の使われ様にも“次の天皇だから”と何とも思わないのか、といつも思う。
どこかの独裁国家のようだね。
孤独と重圧で酒を飲んで泣いている、と報道されたけど同じ?
押し→推し
興味深い記事でした。毒と知らずに水銀が含有されているモノを使う…現代でも良くあることかもしれません。
毒と知って、妃や女官が競争相手、その子どもに使用する…今も陰で為されていることかも。
遺伝子操作で男女産み分けをし、皇統簒奪をする…というのと似ていますね。♀の受精卵は捨てる・生まれた子が♀だったら闇に葬る・♂が出来る迄 何度も繰り返す┅
水子の霊が秋篠家の周辺に漂っているんでしょうね。
ノーパン般若やミテコBBAが「コレ
食べて」と雅子様や愛子様に持って
行ったものなど、恐ろしくて食べられ
ませんな。
もしかしたら、頭がよくなるようにと
悠仁に変なもの塗って食べさせている?
怖いですね。
でも挿絵写真がキーコさんなのに笑いました。一般参賀での愛子様いじめの破壊力がすごかったのでしょうね…2021年のお正月のM子さんの天皇陛下睨み事件と全く同じパターンですから。
カピの宮家では気に入らないことがあると相手をすごい目で睨んで脅しあってるんでしょうね。
脅かしに屈しないと、秩父の山に埋められたり東京湾に浮かんだりするンだわ。
鬼ババア美智子と川嶋キコは皇后様に子供が生まれないようにと、あの手この手を使い散々嫌がらせをしてきましたね。
雅子様の初めの妊娠もこの鬼畜どもに何かをされて、残念ながら流産させられました(男の子だったらしい)・・・・
そして傷心の雅子様は”流産の記者会見”をさせられました!!
それをテレビで見ていた皇后様のお母様が「雅子様がお可哀そう」と仰っていました。
その後、敬宮様がお生まれになったのですが、よくご無事で生まれたと思います。
皇后様のご苦労を考えると、あの時のお言葉「生まれてきてくれてありがとう。」が何ともいたたまれません・・・・
タケロウ記事?
秋篠宮家だけが叩かれるのが嫌で、皇室全体をイロモノ扱い?
「水銀」で水俣を連想させたい?(新潟水俣病と安西家をお忘れなく)
と勘ぐってしまった。
最優秀ノーパン写真ですな
秋家に奇形児ができたことで、急に大正時代の話とすり替え
るのはタケロウの常套手段。
それをいうなら、当時おしろいを使用していた女性は皆碍児
を出産していたことになりますよ。
明治天皇が梅毒だったことは有名で、ベルツもその治療のた
めに日本へ招聘されたようなものだったからです。
当時の治療法は水銀軟膏の使用で、先天性梅毒で出生した明
治天皇の子供らにも水銀が用いられたのは仕方がないこと。
明治大正の皇室は梅毒地獄だったわけで、宮中の一角には
梅毒に冒され末期的症状を呈する側室らを集めた一角があり
昭和天皇はそれをご覧になられてショックを受けられ、側室
を禁じ、貞節を守り通されたのです。
現在の典範が側室の子を皇族に認めないのは、宮中でも猛威
を振るった脳梅毒の教訓が背景にあったといえるでしょう。
この教えを忘れた秋家にはこの先地獄しかなくて当然です。
夫も妻もふしだらの極み、婚外子がうじゃうじゃいて、秋邸
には親不明の幼児まで同居し、悠仁の筆おろしのためと母が
同級生女子を買春しようと百万で持ちかけるなど論外です。
タケロウ記事は、何の弁護にもならないどころか、秋家の持
つ致命的スキャンダルをひたすら浮き彫りにするだけです。
紀子さまの実家は、資産はともかく、父方の家柄は小和田家より上では?
祖父は内閣統計局長
祖父方の曽祖父は皇族や華族ばかりだった時代に学習院初等科長を務め、
祖母方の曽祖父は警察官僚から大阪市長になり晩年は朝鮮総督府総監
三人とも叙勲者
少なくとも、一般庶民 ではない。
母方の杉本家は婿で継いで三代満鉄技官。満鉄職員って、今で言うなら日銀みたいな超エリートです。
引き揚げてからお祖父様が姿勢矯正器具の特許を取られて治療院を開かれていたので、「あんま」との噂になったみたいですが、、、。
あの職員住宅の印象が強烈だったせいでしょうが、昭和の官舎や大企業社宅はあんなもんだし、雅子様も誕生時と東大在学時は官舎住まいされてました。
満鉄でもピンからキリまでですから。
エリート等ではなく、戦時中にすでに静岡県に戻り、伊豆の山中土肥の宇須久明礬鉱山において、強制労働で支那や朝鮮人を酷使するヤマで働いていたことがすでにバレていましたよね。
そこでは支那や朝鮮から強制連行してきた労務者が逃亡すると、山狩りしてまで探しだし、見せしめに事務所に逆さづりにされて叩きのめされ、翌日にはそのまま死んでいたとか。
そういう鉄火場で、労務管理をやっていたようでは、エリートとは程とおい下っ端階級です。
いわばタコ部屋の管理人をやっていたまでの身分。
だからその孫は座敷牢に息子を幽閉する運命となるのです。
逆さづりにされ、リンチされ死んでいった強制労働者たちの怨念が碍児となって、曾孫に祟りが出たのかとも思いますよ。
んな事言っても、うちのおじいちゃんも満鉄よ。しごく庶民よ。
タケロウの記事と同じ内容を「ふぶきの部屋」にも書いていた。
タケロウと「ふぶきの部屋」は秋篠家がスポンサーだろうな❗️
何しろデマ・妄想・捏造が酷い。
「紀子サマは唯一昭和天皇が入内を許した妃」「雅子のバックには解放同盟と創価学会がついて、明仁天皇を恐喝して入内」「日本の皇室は愚兄賢弟」「上皇后は知的障害のある徳仁を贔屓して、秋篠家に嫌がらせをしている」…
宮内庁が何故こんなデマサイトを許容してるのか❓️
宮内庁もグルなのかと思ってしまう。
あまりの内容に、思わず失禁。
座敷牢は私宅監置といって発狂した家族を公的に面倒を見ず
各自牢屋を作って、逃がさぬように隔離しろという政策です。
いまは禁止ですが、継承権を失いたくない紀子は、正式には
息子を施設に入れたり、特支にやれないので、結局明治大正、
そして60年代まであったという座敷牢に頼るしかなくなり、50億もの予算でもって、どうしてもいますぐ新築する必要が
あったのが、悠仁専用座敷牢だったという、笑えない話にな
ってしまったのです。
事実、新宮邸への引っ越しまえに、すでに悠仁は座敷牢に入
れられ、そこからの悲鳴が屋敷中に響き渡る阿鼻叫喚です。
牢屋であるだけでなく、拘束服などで動けなくされて、精神
病院でやってきたような監護がされているから、手に赤い傷
のようなものもでき、首にも新たな索状痕が認められ、拘束
器具や服を外そうとし、大暴れしてついたとみられる痛々し
い傷跡となってしまっているのです。
宮本タケロウの記事なら要りません。
皇室新聞の読者をただ怒らせるだけです。
タケロウ氏は自分で、「秋篠宮家新聞」でも開設して
統一教会と世界日報のような関係で稼げばいいでしょう。
「宮本タケロウ」の記事は、秋シンがどれだけデマや妄想・捏造を拡散させているか…の証拠として、重要だよ❗️
美談や綺麗事で秋篠家を語っているのが、知らなきゃ批判も出来ないから❗️
宮本タケロウの記述に下げポチが多いのは「記事の内容」が嘘だから。
その嘘をちゃんと調べて掲載してくれた投稿者には、感謝してるよ❗️
大正天皇は三男で、多くの兄弟姉妹がいましたが。
当時の風習で「妊婦は外出禁止」「女性は胸まで白粉(毒物入り)を塗っている」ということもあり、多くの子は亡くなり、大正天皇も虚弱体質で生まれました。
生まれ持った少々の知恵遅れもあり、大正→昭和は皇室内でも大きな改革があったと言われています。
大正天皇の世は確かに短いですが、日本にとっても無くてはならない時代でした。
昭和天皇がよくピックアップされますが、大正時代も注目してください。
篠原さん動画のまとめ がるちゃんより
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※なぜ法学部出身のA宮が生物やニワトリの研究をするのか
※なぜ川島臭は東大博士を出て色々な論文を書き中国へ行くのか
・キーマンは正田陽一教授。ミテ子の父の従弟。2016年に亡くなった。
・生物学・家禽の専門家。犬の品種を作る遺伝学的な研究もした。東京農大の近藤教授とも繋がっている。
・正田陽一はしがない学者で東大の助手をしていたが、ミテ子が皇室に嫁いだ途端出世。東大教授になった。
・アメリカ、イギリス、日本が中国支援に乗り出した時代、中国農業を発展させるため、正田陽一調査団をつくって中国共産党と深い関係になる。
・中国共産党中央が正田陽一を「友好的人種」認定。
・中国で著作の高額な印税を受け取るということは、内容は賄賂。正田陽一と中国との深い関係が90年代まで続いた。
・中国側は正田陽一の人物像をよく把握していた。皇族美智子の親族と知って戦略的につきあった。
・1998年8月に正田陽一が会長になりA宮が入り雲南省調査団が中国へ行った。25名ものチームで皇宮警察、宮内庁職員が入り、東京大学大学院研究生の川島臭も入った。
・中国は大歓迎。ここにA宮の家禽研究のルーツが作られた。
・問題は、全て政府のお金で、美智子の親族の正田陽一がやったという点。
・どうしてここまでA宮を持ち上げるのか?正田陽一はA宮を立てることで一学者には出来ないことができた。A宮を立てれば政府のお金と大調査団が付いてくる。成果はA宮の名前で出した。ここが秋の高学歴の始まり。
・正田陽一の雲南省研究団を引き継いだのがA宮と川島臭。
・中国と皇室交流の正面に秋が立っているわけではないが、臭がしょっちゅう中国へ行っている。
・今や臭嫁栗原奈緒も中国ゲートになっていて、中国と深い関係にある
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中共と見て子の太いパイプが原因で、見て子は、皇太子結婚前から小和田雅子さんを異様に毛嫌いした。
見て子は日本を中国に売れば儲かるとよく知っており、それには皇室の弱体化、私物化こそが、正田家安西家の利益と心得た政商でもある。雅子さまの生き方とは真逆だった。
ところが、紀子にはあろうことか人権問題も付随していて、貧困であるだけでなく、こちらからの反発が激しく、もはや秋家を翼賛しようとしても、大金を積んで記事を書かせ買う以外に妙案はなくなった。
おまけに悠仁が性欲を抑制できず、何度も痴漢に走るようになって、社会から軽蔑される存在になった。これは見て子の大誤算。
中国は安西家をどう思っているのでしょうね。百度で安西孝之と漢字入力したら鯰と並べた写真が出てきますよ。
拍手喝采
ありがとうございます。
中々ゆっくり動画を見れないので助かります。
話がずれるかもしれませんが、宮崎アニメのゲド戦記は興行的に上手く行かなかったようですが、日本人は、複雑な話を読み解けるようになって行かなくてはならない時代に入っているのだと思います。
仰せの通りですね。
ここまで自体がこじれてきた理由としては、見て子の結婚時に遡り、それ以来の様々な不始末や、わがまま、不倫などが重なり合い、最終的にこのような形にもつれ込んできたと思われます。それこそ本にすれば10巻本になるほどの大史なのに、Twitter や Yahoo!コメントで短文で書ける内容ではないことは確かです。
YouTube でもしゃべり切れる内容ではないので、こうやって掲示板でも議論が散漫になってしまいますよね。でもしっかりと、皇室内の不正行為は国民が監視しなければ、あっという間に北朝鮮のような国家にされてしまいます。不正がばれるのが怖いので言論統制をし、独裁国家にしてしまうという、とんでもない動機が現代社会の罠と言えるのではないでしょうか。
ア家らのこれからは転落三昧となるのだろうか。全く無明な一族。
記事の内容と違うコメントでごめんなさい
ミテコ自身って、やっぱり大嘘つき!嘘つき、嘘つき、嘘つき!
【NY日系人会は晩餐会にそもそも小室夫妻を招待せず 誤報の『女性自身』に地元紙も困惑を表明】エトセトラ・ジャパンより
これは酷い
女性自身は、誤報ではなく、虚報レベルですね
よほど紀子側から裏金を積まれたのか、大量お買い上げになったのか
しかもその原資は内閣官房から出ているのでは、岸田の責任になる
そこまで解放同盟には配慮が必要ということなのでしょうか